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2006年9月

マスコミってのは(その2)

IBMが新しい特許ポリシーを発表しました。このことについては、ipippiの日記にコメントを書いておきました。そこでは、特許の質を維持することがCSR的にも重要なのでは、と言う観点を示しておきましたが、その後、IBMに勤務する友人から、「特許の質の低下はイノベーションの阻害になる」という観点を示してもらい、なるほどそう言う考え方も出来るのだ、と納得していました。

その友人が指摘していたのが、日経記事の内容がIBMのプレスリリースと大幅にずれている、ということでした。確かに、私も日経新聞の記事を見て独自取材したのかしらと思うくらい内容が違っていたのは知っていました。プレスリリースは企業の公式見解ですから、それと違う内容は通常考えにくいわけです。だとすると、記者の勝手な思いこみか早とちりか、そんな情けない結果が日経の記事になってしまったわけです。

以前のこのブログでも、マスコミの不勉強や勝手な思いこみについて書いたことがあります。少ない経験からすると、マスコミの記者は事前に自分なりのストーリーを描いていて、それを元にインタビュー等をしてくるわけです。従って、真実が記者が事前に書いたストーリーと違っていても、強引にそのストーリーで押してくる。従って、出来た記事はインタビュー結果と大いに違ってくるわけです。今回の日経記事は記者の取材に基づく(といってもプレスリリースの焼き直しだと思うのですが)記事なのでインタビュー記事とは違いますが、何らかのフィルターを通した記事が出てしまった、という点では共通すると思っています。

投稿記事の怖さについて、パテントサロンの大坪さんも最近ブログで書いているとおり、知らない人が読んでしまうと「へぇ~」と思ってしまう記事でも、専門家が読むと「??」となってしまうことは時々あります。マスコミは自分が書いた記事に責任を持つべきなんですが、時に真実を書くことに対する無頓着さを感じることがあります。他山の石としなければ。

統計数字のカラクリ

MOT専門職大学院に通っていた頃、数字を扱うときには気をつけろ、と言われたことがあります。例えば、2つの数字を統計処理して、正の相関があると結果が出たからと言って、直ちに2つの数字の間に密接な関係があるとは言えない、という場合があります。

最近読んだ本で、日本のGDPと出願件数とを比較すると、非常に増減のカーブが似ている、と言うことが紹介されています。しかし、増減のカーブが似ているからと言って、双方に比例関係があるとは言えません。確かに、日本は戦後60年間飛躍的な技術革新を達成し、それと共に出願件数も増加してきました。昨日お話ししたように、イノベーションの結果として特許出願が生まれるという仮説を前提にして考えれば、GDPと出願件数との間に比例関係が成立してもおかしくなさそうです。

しかし、本に紹介されているグラフでは、横軸に年度、縦軸に件数、金額が記されています。統計処理をきちんとするのであれば、縦軸にGDP、横軸に出願件数を取り、双方の間に正の相関が強く表れたときに初めて比例関係有りとすべき所です。また、イノベーションという観点からすると、GDPという工業生産の結果値ではなく、R&D費という技術革新に対する入力値と特許出願件数との間の相関こそ有意義な結果であるとも言えます。さらに、ミクロ的に見ると、特許出願件数は旧実用新案制度の廃止、ビジネスモデル特許ブーム等により増減を繰り返している事実があるので、GDPだけを唯一の相関値にすることには不安があります。言い換えれば、特許出願件数の増減を考える際のモデルとして、GDPの値のみを変数とするモデルは不適切ではないか、と言うことです。

当然、本の著者もそのあたりを心得ていて、本の中の表現は決して断定的ではありません。ただ、グラフだけを見せられてあたかもGDPと特許出願件数との間に密接な関係があるかのように説明されると、ぼーっとしているとそれを信じてしまいそうになる落とし穴がある、と言うことです。世の中の統計数字にはこんなからくりが時々見えることがあります。気をつけなければ…。

知的財産戦略と政策(その2)

政治の話をここでするのは好きではないんですが…自民党総裁に安倍晋三氏が選出され、昨日、第90代内閣総理大臣に任命されたそうです。

さて、前にも書いた、新総理は知財政策をどう考えているのか、ということが気になって、総裁選の際に安倍氏が掲げた公約を公式サイトで見てみました。関係ありそうな項目は、「イノベーションで新たな成長と繁栄の道を歩む国」「イノベーションの力とオープンな社会で日本社会の新たな活力を」といったところでしょうか。やけにイノベーションという言葉が随所に出てきていることが分かります。

イノベーションと特許との関係については、後日詳細に論じる予定でいますが、簡単に考えれば、産業におけるイノベーションが生み出す果実が特許であり、特許によりイノベーションの保護が図られる、という図式が成立するように思えます。但し、この議論は抽象的かつ定性的であり、イノベーションモデルや数量モデルにより検証されたわけではありません。ただ、何となく首肯できるものだと思います。こう考えると、イノベーションの活用は知的財産権の取得、活用につながるように思え、少なくとも政策的にはnegativeなイメージは持たなくて良さそうです。

ただ、政策論としてのイノベーションと、MOT等で語られるイノベーション(イノベーション論という学問がありますから)との間には何となくの距離があるようにも思います。イノベーション論自体は数十年の歴史を持ち、科学技術政策を語る際にもイノベーション論なくしては議論が成立しません。一方、安倍新総理が語るイノベーションは新産業振興、といった抽象的な概念であるようにも思え、精密な議論はされていないようにも見えます。だとすると、果たして安倍新総裁の誕生は知的財産政策には追い風か向かい風か、もう少し動向を見据える必要がありそうです。

弁理士の専門とする業務

弁理士という職業は、弁理士法が改正される前まではいわゆる旧工業所有権法(今は産業財産権というのですね)の代理業務を主たる業務としていましたが、平成12年の法改正により特定侵害訴訟代理の試験を合格した弁理士には弁護士と共同で侵害訴訟の代理業務ができるようになり、また、特定の不正競争行為や著作権契約についても一定の範囲で代理業務ができるようになりました。さらに、現在進んでいる弁理士法再改正により、外国出願業務が標榜業務(専業ではないが弁理士として専門にしたいと標榜する業務)も代理業務に加わる可能性が出てきました。これらは、業務拡大及び時代にあった業務を行うべしとする日本弁理士会の役員及び委員各位の皆さんの努力だと思っています。私のようなヒラ弁理士は感謝しなければいけないと思っています。

ただ、企業に勤務している期間が特許事務所にいる期間より長くなってしまった私にとって、果たして産業財産権以外の業務を特許事務所に依頼するのだろうかという素朴な疑問は、平成12年の法改正の時以来ずっと持っています。それは、産業財産権以外の広い意味での知的財産権の問題については弁護士に依頼している慣習が長く続いているからかもしれません。確かに、最近弁理士会が盛んに提唱している、中小・ベンチャー企業に対するサポートという意味では、弁理士がワンストップサービスを提供するために業務拡大を行うべきと言う理屈が通るのだと思います。しかし、一定規模の企業になると弁理士との付き合いも長くなり、弁理士がちゃんとできることとできないこととの区別が出来てきます。加えて、産業財産権以外の担当部門が知的財産部門以外におり、その担当部門はcounterpartとしておつきあいのある法律事務所があったりします。こうなると、敢えて特許事務所に対して産業財産権以外の知的財産権の問題の代理をお願いするかと言われると、ちょっと及び腰にならざるを得ません。

つまり、企業側の持っているイメージと弁理士側が期待するイメージとの食い違い、という言い方が良いのかもしれません。企業側としたら、現在依頼している産業財産権の代理業務についてより専門性を持ってhandleして欲しいと思っています。一方、弁理士側としたら、業務拡大により生き残りを図る、業務拡大した部分についても代理権を欲しくなるわけです。この差は、両方の世界に身を置いた経験のある自分にとって双方の気持ちも理解できるが、だからといってこの差を埋めるのは大変難しいことも理解しています。時に、産業財産権の代理業務について専門性を深めることを標榜し、実際にそのための努力を惜しまない特許事務所がありますが、どうも少数派であるように思います。悩ましい問題です。

交渉と心理学

先日、心理学の大学教授を社内にお招きして交渉の際の心理学についてお聞きする機会がありました。交渉事というとどうしても法律論、技術論に傾きがちですが、そうではなくて人間が得てして取ってしまう行動パターンという観点から語られた話はなかなか興味深かったです。特許屋をやっているとどうしても人文科学から離れたことばかり考えがちですが、心理学という糸で交渉という布を縫っていくとどうなるか、興味深かったです。

例えば、軒を貸して母屋を取られるといった話。つまり、少しでも相手側の条件を呑んでしまうと、それが既成事実になって相手側の条件をどんどん呑んでしまわざるを得ない、という法則があるそうです。また、交渉を円満に始めるには、最初から用件だけを話すのではなく、まずは誰でも興味のありそうなこと、例えば天気の話やスポーツの話から始めるとその場が和やかになり、堅苦しい雰囲気が無くなるとのこと。また、人間はどうしても第一印象で考えがちであり、また、職業であれ何であれ相手のことを何らかの一定のステレオタイプにはめて考えがちである、ということ。そして、交渉事は外向的な人間に適性があると思われがちであるが、内向的な人間は相手に信頼感を与えることができるので、むしろ内向的な人間が交渉に向いているかも、といったこと。それから、人間は権威なり専門家の意見なりに従いがちであると言うこと。また、最初からケンカをしたいなら裁判に持って行けばいいのであり、交渉事はやはりWin-Winの関係になるように双方を収めるべきである、ということ。

ちょっと雑多になりましたが、こんなことが話されました。こういった話題は交渉術の本に書いてあることなのですが、心理学により定性的に証明されていることである、というのにちょっと驚きました。心理学の法則は一定の実験に基づいていますから、世界共通の認識なのだ、ということです。ただ、手練手管の交渉人はこんなことは経験的に百も承知でしょうから、心理学的見地を持って自分に有利に進めようとしてもそんなことはお見通し、でしょうが。

弁理士の寿命と健康

似たようなことを表のipippiに書いているんですが、弁理士という職業は概して長寿の方が多くて、40代半ばの私はやっと若手を脱したくらいの状態です。普通の企業であれば定年退職する60代でも現役ばりばりですね。おかげで合格以来大学の先輩弁理士には未だに頭が上がりません(^_^;。

基本的に弁理士というのはhappyな職業といわれています。医者や弁護士のクライアントは身体や金銭的問題などで困ったから来ているのに対し、弁理士のクライアントは良いアイデアを思いついて何とか権利にしたいと前向きな気持ちで来ることが大半です(訴訟はそうはいかないですけどね)。どんなに忙しくても解決すれば喜ばれますし、大抵の場合手続に瑕疵があってもクライアントの生命に影響を及ぼすことはありません。

だからといって、弁理士はお気楽な商売、というわけではありません。ある統計からすると、1人で開業して他に弁理士がいない、いわゆる1人事務所の数は事務所数全体のおよそ80%を占めるそうです。1人事務所の場合、弁理士と事務補助者、あとは経理担当者がいるかいないか、という構成が大半です。こうなると、1人事務所の弁理士は重大な決断をしたり、また、経営上悩み事があっても自分で解決するしかありません。こういった弁理士にはさぞや日常的にプレッシャーがかかっているだろうと推測します。特に、自宅開業している場合、一日中仕事をしているような状態になり、家庭との切り分けが難しくなるかもしれません。

企業にいると、社員の健康に関して労働安全衛生法で安全健康配慮義務が課せられているため、メンタルヘルス維持のために様々な方策がとられています。相談窓口もありますし、担当産業医が常に職場のメンタルヘルス状態を把握する体制が取られています。一方、個々が個人事業主である弁理士の場合、弁理士会として個々の会員のメンタルヘルスを維持する取り組みをするまでには至っておらず、人間ドックを安価で提供するに止まっています。この件に関して弁理士会に義務も責任もないので、殊更に取り上げることもないのですが、昨今、企業におけるメンタルヘルス問題が大きく取り上げられていることに鑑みると、何らかの方策をとっても良いのかもしれません。

こんなことを書いているのも、一昨日自主ゼミの教え子だった弁理士が、事情はよく分かりませんが長男を道連れに無理心中してしまったので、事前に何とか救える方法はなかったのだろうか、と思っているからです。彼は、自宅開業している1人事務所の所長であり、しかも奥さんは病院に入院中だったと聞きます。彼にのしかかる責任は重大だったでしょう。こんな時、カウンセリングを受けるだけでも随分違ったと思います。あるいは、周囲に何らかの助けを求めただけでもその後の展開は違ってきたでしょう。無念でなりません。

早期の英語教育は必要か

英語教育はいつから始めればいいのか?これは、幼児、小学生を持つ親の最近の悩みの一つではないか、と考えています。というのも、早期の英語教育を謳う英語教材が多数で回っていますし、もう少しすると小学校でも英語教育をする流れになっています。早ければ早いほうが良いのは分かっていますが、まず日本語をちゃんとしゃべれるようになってからでも遅くはないのでは、日本語の基礎がしっかりしない段階で英語をインプットしてしまうとどっちつかずになってしまうのではないか、等々、考えているときりがありません。

こんなことを考えたのは、この3連休の1日、ディズニー英語システムが主催するイングリッシュカーニバルという劇を見ることができたからです。この劇は、通常ディズニー英語システムの教材を使用している人向けのものですが、教材の資料請求をした人向けに席を幾つか好意で(当然営業目的ですけどね)用意してもらったので、我々家族が行くことができました。劇は全編英語で、しかも、教材でやっている程度の簡単な英語だけを使っているのは感心しました。さらに感心したのは、教材に入っている歌をスタッフが歌っていると客席の子供たちも一緒に歌っているのです。こうやって子供たちは勉強を進めていくんだなぁ、と。

とは言え、自分の子供に早期の英語教育をするべきか、まだ自分自身は迷っています。ディズニー英語システムに限らず、どの教材もしっかり考えて作られているでしょうから、それなりの成果はあると思うのですが、上にも書いたように、自分の子供が小学校に入る頃には小学校で英語教育を始めるでしょうから、それからでいいかな、という気もあります。一方で、ヒアリングが大の苦手である自分を反面教師に考えると、英語耳を育成するには早期の英語教育が不可欠だとも思うので、小学校からでいいと言い切れる自信もありません。もう少し、悩みの日々は続きそうです。

小泉総理の特許庁訪問

(これはipippi向けの話題だったかなぁ…色々と書いているとわからなくなってきています(^_^;))

昨日、任期満了間近の小泉総理が特許庁を訪問したそうです。小泉総理というと、このリンク先にも書いてあるとおり、憲政史上初めて所信表明演説で知財の重要性を説いた歴史に残る総理大臣です。わざわざ任期満了近くなってか
ら訪問することもないと思いつつ、今まで通産大臣、経産大臣が特許庁を訪問したことはあっても総理大臣が訪問した記憶はないので、これもある意味歴史に残ることかもしれません。

この、所信表明演説で知財が言及されたのが2002年、それから知財戦略会議、知的財産大綱、知財推進計画とめまぐるしく政府側の取り組みが進み、知財推進計画も事務局が説明するには第2期目に突入したとのことです。この間、特許法の改正や知財高裁の設立など矢継ぎ早に新施策が取り入れられ、追っかける方も大変でした。企業の側から見て、例えば裁判の迅速化が図られ、しかも大審院的な合議体による判断により司法の流れがよく見えてきたこと、また、知的財産報告書といった新たな企業価値判断指標を公表することで企業評価に新しい座標軸を提起できたことなどは評価すべきことなのですが、実務上はこれから導入されるであろう審査
ハイウェー構想や3極審査結果受け入れ、さらには模倣品取り締まり条約締結といったほうが影響が大きいように思われます。従って、まだまだ知財改革途上、という気がしています。

従って、以前にも書いたとおり、次の内閣はこの知財改革を継続的に推進して欲しいと思っています。まだまだやり残していることはたくさんありますので。

京都に行きたい、と思えど

秋雨前線と共に夏の空気は南方に去り、関東地方には秋の空気が北から吹き込むようになりました。町にも長袖の人が多くなり、一気に秋モードに移行したようです。夏が終わると、「今年も京都に行けなかったなぁ」と嘆くことが多いです。というのも、一時期(もう20年くらい前でしょうか)夏になると京都、京都と騒いで一人でも何でも京都に行っていた時期があったからです。

京都の夏を少しでもご存じの方は、「なぜ夏に京都?」という疑問を抱くでしょう。京都は町全体が盆地の中にあるので、夏は否が応でも蒸し暑くなります。で、自分は貧乏旅行をするのでひたすら公共交通機関と徒歩で京都市内を歩き回りますので、暑い夏がさらに暑くなります。そんな暑い時期を狙って京都に行かなくても…と思われることを承知で夏に京都を歩き回っていました。一番の理由は、まとまった休みが夏にしか取れないことですが、さらに言えば、紅葉や桜の時期に京都に行くと観光客が多くて辟易してしまうこともあります。

寺を巡って木陰の軒先に一息ついてじっと庭や仏像を見ていると30分くらいはあっという間に過ぎてしまいます。そんなのんびりとした旅行をしていると、心の洗濯をした気分になります。普段は仕事をしていてそんなのんびりした時間を過ごすことはないですから、何も考えずにぼーっと景色を見ているだけで心地よい気分になります。

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一度だけ、お盆を過ぎた時期に京都に行ったら、清水寺に向かう坂で地蔵盆という行事に出会ったことがあります。この地蔵盆は、道の途中にある地蔵に屋台を建てて子供たちがお祝いをするという儀式です。関西地域ではごく当たり前の行事だそうですが、関東では見たことがなかったので非常に新鮮に映りました。夕暮れ時、地蔵尊の前に子供が集まり、わいわいとお祝いをしている、もうすぐ夏も終わるという何となくの切なさもあり、ちょっと叙情的になってしまいました。

今は子連れですので、どうしても旅行となると子供中心の場所に行ってしまいがちで、京都とはさらに縁遠くなってしまいます。ただ、ちょっと落ち着いたらまた行ってみたい気はありますので、またご報告できるときがあるかもしれません。

都会暮らしと地方暮らし

妻の実家で夏休みを過ごしたのは、以前書いたとおりです。妻の実家は千葉の九十九里の南端にあり、海からはちょっと離れているのですが、一日中何らかの形で風が通っており、日中も窓を開けていればクーラーが要らないくらいの涼しさです。なので、子供の昼寝のために海水浴を早々と切り上げて実家に戻り、畳の上に寝転がって風を感じていると極楽気分になれました。

冬は冬で東京ほど寒くはなく、それなりに過ごすことができます。こんな気候のせいか、定年後の住居として選ぶ人もそれなりにいて、町の住民はここ数年大体の数が均衡しているそうです。つまり、高校までいて大学なり勤めなりで東京などの大都会に出る人と、大都会から移り住む人とがうまくバランスが取れているわけです。総武線快速で東京まで一本で乗れるという地の利もありますし。

ただ、地方なりの悩みもあります。まず、車がないと買い物にも行けない。生鮮食料品を安く扱っているスーパーが車で10分程度走らないとありません。魚屋は近所にあるんですけどね。医療機関も大病院となると車で20分~30分程度走らないとありません。これを不便と感じるか、致し方ないと感じるか、個人により違うだろうと思います。

最近は、海沿いの地域がサーファーのメッカとなって随分開発されてきていますので、10年後はもっと住みやすい地域になっているかもしれません。ただ、ずっと都会に住んできた自分にとって都会の便利さはマストな事項になっているので、移住できるかというと難しいかもしれません。

特許戦略覚え書き

特許戦略は、出願戦略、第三者戦略及び権利活用戦略の三本柱からなる。特許戦略は、経営戦略及びR&D戦略と密接な関係を持つが、経営戦略との関係では特許戦略は個別戦略の一つとしてR&D戦略と同等に位置付けられる。具体的には、経営戦略で語られるスローガンを実現する個別戦略として特許戦略は位置付けられる。

特許戦略にも、経営戦略と同様にスローガンが掲げられ、三本柱の個別特許戦略はスローガンを実現するように作成される。

出願戦略は、国内出願戦略、外国出願戦略、国内中間戦略、外国中間戦略の4つに細分化される。出願行為は工業所有権費の相当の部分を占めるので、出願戦略を立てるに当たっては計数化可能な目標値を定める必要がある。国内及び外国出願戦略は、将来の自社特許ポートフォリオを作成するためのものであるので、R&D戦略を吟味した上で5年先に優位性を有するべき自社技術にフォーカスを当てて出願活動を活発化させる戦略を立てる必要がある。特に外国出願戦略では、当該技術がフォーマット関連であるか、また世界戦略商品に関するものであるか等を考慮し、出願国の吟味を行う戦略を立てる必要がある。国内及び外国中間戦略では、2~3年後の自社技術の展開を考慮し、さらに他社商品、技術の展開を考慮して個別案件に軽重を付ける必要がある。

第三者戦略は、自社の業界状況にもよるが、フォーマット戦略、ライセンス戦略及び訴訟戦略に細分化される。フォーマット戦略はフォーマット対象品の商業的展開を考慮して策定されるべきである。ライセンス戦略は特許戦略のスローガンに影響され、特許取得の目的によってライセンスを積極的又は消極的に行うかが決定される。同時に、自社商品の展開の方向性を読んでライセンス交渉を進める必要もある。訴訟戦略は基本的に個別案件ごとに作成されるが、特許戦略のスローガンに基づいて最終決定されるべきものである。

権利活用戦略では、経営戦略に基づいて重要権利活用分野が策定され、これに基づいて自社特許の評価等が行われる。権利活用戦略の中には、特許維持の可否、すなわち年金管理も含まれる。

一方、特許戦略は個別商品、個別技術分野毎にも若干の差異を有する。個別商品毎の特許戦略にも、上述した三本柱の観点が必要である。従って、個別商品毎の特許戦略と上述した三本柱とのマトリクスにより全体の特許戦略が構築される。

特許権を取る目的は何?

最近、特許権を取る目的は何であるか、という議論をふとしたきっかけですることになりました。法律的に言うならば、独占排他権たる特許権を取得することで自分のビジネスを守り(排他的効力)、正当な理由無く侵害したものに対して差止権、損害賠償権の行使を行う(独占的効力)というものでしょう。業界の慣行、企業のポリシー、個々の特許権に関する事情などにより独占的効力と排他的効力のウェイトは違ってきます。

従来、自分が所属する会社の業界では、どちらかというと排他的効力を重視してきたように思います。一方で、ライセンス交渉に有利に働く=金を稼げる特許を取得すべく、権利形成時から粘り強く補正、分割を繰り返して独占的効力を十二分に発揮する、という考えも一方でありました。では、現在の状況から考えてどちらがより良いのか、これは議論が尽きないところです。

排他的効力はどちらかというと自社ビジネスの自由度を如何に高めるか、に注目をおいています。従って、自社は実施するが他社は実施させない、したくても特許権があるからできない、という結論になります。ある意味、特許権は行使されることなく抑止力としてのみ有効である、ということになります。一方、最近の議論では特許権を無体資産(intangibel assets)と考えるならば、資産の圧縮化及び有効活用を考える近年の文脈か
らすると、有効活用をされていない=権利行使をしていない特許権は無駄であり、積極的に活用するか、活用しないのであれば技術ごと他社に売却すべし、という結論になってしまいます。この議論も相当論理の飛躍があると思う(排他的効力も権利の有効活用の一つですから)のですが、見た目は派手で何となく説得力があるように思われてしまいます。

一つ考えておかなくてはいけないこととして、排他的効力=抑止力を重視する施策は、competitorが同業他社ばかりの時代は相当有効であったのですが(同業他社は互いの特許をウォッチングしていますから)、近年の電子機器のデジタル化、多機能化、ネットワークとの接続性向上により業界の垣根は著しく低くなり、異業種間でも容易にcompetitorになりうる現在において、抑止力のみにスポットを当てていると思わぬところから攻撃される可能性が高くなってきます。特に、自分では全く製品を製造しておらず、特許のみ保有する者(悪質だと
Patent Trollerと言いますね)に対してはクロスライセンスの可能性は全くなく、言われるがままにされてしまう可能性が出てきます。

一方で、補正、分割を繰り返して小さい権利範囲であっても多数の有効特許を取得するという考え方は、現在の法体制下では決してお勧めできる手法ではありません。というのも、補正によって明細書の当初記載範囲以上に権利を拡大することを現状の特許法は許していませんし、分割するにしても近年の審査遅延を解消するために従来技術との関係を記した書面を出願人側に課するなど、結構な負担になっています。現在一番勧められる手法は、当初から権利範囲を想定した明細書を作成し、その方向で権利取得を進めることです。

いずれにしても、従来の排他的効力を極めて重視した姿勢を続けていると時代の流れに乗りきれなくなってしまいます。一方で、独占的効力を重視することにも問題があります。両者のバランスを取りながらその時その時の最適解を得る以外に方法はなさそうです。ただ、これでは長期的視点に立った戦略も何もないですね。難しいところです。

電子マネーは便利か不便か

今の職場は、電子マネーの最大手であるビットワレットがビルに入居し、さらに、会社としてもビットワレットのエディを強力に推していることもあって、エディが使えない場所がないくらい電子マネーを利用することができます。しかも、社員証がエディ対応なので、会社に来るときは間違いなくエディを使える状態にあります。これだけの条件が揃っていると、電子マネーを使わない手はないですね。電子マネー無くして会社生活が送れないほどの状態になっています。

で、表題にあるように、電子マネーは便利か不便か。当初は社員証を紛失したらどうなるだろうという危惧があって若干の抵抗があったのですが、使ってみると決済の速さ、小銭を扱わなくて良い便利さがあって、手放せなくなってしまいました。唯一不便だと思うのは、一旦チャージしてしまった金額は電子マネーとしてしか利用できないこと。ちょっとの小銭が残額で余っていると、何かしら物を買わないと使い切れないんですね。

さらに自分の場合、定期をスイカ区間と磁気定期区間とに分けて購入しており、スイカにも近場を外出するための交通費がチャージしてあります。こちらも分類としては電子マネーになりますが、JR内で電子マネーとして使った経験はほとんどありません。単に駅の施設で物を買う機会が少ない、ということだと思いますが、若干、交通費としてチャージしているんだから物を買う金にはしたくない、という気持ちもあります。

エディ端末あるいはスイカ端末を置いたコンビニなどがどんどん増えていっているので、電子マネーはますます自分にとって身近な存在になってきています。しかし、縁遠い人の方がまだまだ多いのが現実でしょう。自分の職場でも、あるいは自分の職場があるビルの店でも、まだ現金を使っている人が結構います。そういった人にとっては、全てのものの購入が電子マネーにならないとうまく金銭を管理できないとか、電子マネーにする積極的な理由がないとか、色々な事情や理由があるんだろうと思います。

ただ、携帯電話に電子マネー機能が付いたものが当たり前になりつつある現在、電子マネーを使った方が便利だろうなぁ、と他人事ながら思ってしまいます。使ったらその便利さ故に止められない、自分はまさにその状態にあります。無くしたときの怖さに対しては、チャージする金額をできるだけ最小限にする(といっても何度もチャージするのも面倒くさいので月単位で使うだろう額はチャージしますが)ことで被害を最小限にしていますし。

オタク文化と自分

最近、「電車男」とか「萌え」とかオタク関係の話題が随分と一般化しているように思っています。特に、「萌え」文化は日本を代表する文化として海外でも注目されているようです。

自分で考えるに自分はオタクではないと思っています(他人がどう見るかはともかくとして(^_^;))が、オタク文化に近いところをずっと歩んできたように思います。

まず、パソコン創成期からパソコンに詳しい友人を持ち、パソコンの知識を入手してきたこと。会社に入ってからはパソコンを業務で使うようになり、より一層パソコンが身近になりました。

また、大学時代の友人が高橋留美子先生の大ファン(ここで先生といっているのは単に一ファンとして敬意を表しているだけですから)で、非公式とは言え先生から直筆の色紙をもらえるほどのファンクラブを運営し、これも創成期時代のコミケで同人誌を販売していたこと。当時のコミケは晴海でやっていたはず。

そのうちにゲーム会社に勤務するようになり、オタクを顧客にする仕事のお手伝いをするようになったこと。ゲーム会社での生活はなかなか刺激的でした。特に、自分がいる部署は著作権チェックもしていたので、フィギュアとかグッズとかを並べながら仕事をしていました。ゲームショーに行けばあちこちにコスプレをしたファンがいたため、
過激なコスプレを見てもちっとも驚かなくなりました(いやぁ、目のやり場に困るコスプレもあるんですよ)。

自分が思うには、オタクと呼ばれる人はほとんどが善良な市民で、たまたま趣味とするところが常人に理解しづらいものだと思っています。時々アニメファンやゲームファンの中に現実社会と空想社会との境目がわからなくなり、常軌を逸した行動に出るわけですが、大多数のオタクは至って平和かつ真面目な生活を送っています。まぁ、ファッションにもう少し興味を持ったら?と思わなくもないんですが。その意味で、凶悪犯罪が起こる度にゲームなりアニメを悪者扱いする論評には著しい不快感を持ちます。

オタク文化を身近に感じる職場から離れてしばらく経ちますが、今となっては過去の経験を懐かしく思うことがあります。ちょうどそれは、今となっては勢いを失った国内ゲーム産業がかつて華々しい栄華を誇っていた時期に重なるせいでしょうか。

受け継いで欲しい会社のスピリット

たまには軽い話を。

電車に乗っていて、時に見かけるのがしかめっ面をした顔の中年男性です。生まれたときに既にしかめっ面を
している赤ちゃんを見たことはないので、これは日々の生活の中で段々としかめっ面をするのが日常的になって
しまったのだな、と他人事ながら日々の苦労にご苦労様と思ってしまいます。しかめっ面までは行かなくても眉間
の皺とか口がへの字のままになっているとかの顔の中年男性はもっと見かけます。苦労の数が年輪となって顔に表れている、という表現は美しいですが、面と向かってみるとあまり好印象を与えるものではないです。

同様に、服のセンスがない中年男性も見かけます。そこまで行くと余計なお世話だ、と言われそうですが、混雑した通勤電車の中でセンスのあまりない人の側でその人の服を見ていると、あんまり良い気分ではないです。もうすぐ定年退職になる団塊の世代の人たちは若者時代に漏れなくヒッピーファッションやアイビーファッションの洗礼を受けているから、少しはファッションに気遣いをしているのかと思うと、そうでもないなぁ、と言う人が結構います。

で、振り返って自分の職場を見てみると、若い世代が多いこともあるのかもしれませんが、眉間に皺が刻み込まれて直らない人も見かけないし、ファッションのセンスは最低でも平均点(良くないなぁ、と思われない程度)の人ばかりだし、どうも一般的な職場と違っているようです。これは、ある意味自分の会社が代々受け継いできたスピリッツに関係があるように思います(強引につないでいるつもりはありませんよ)。

自分がいる会社は、ネクラよりネアカの雰囲気が強いですし、この傾向は特に経営陣に近くなればなるほど強まるように思います。また、企業イメージもセンスの良さを売り物にしているところもあり、全体にsmartでありcoolな印象があります。自然と、そこに勤める人もその影響を受けて来るのでしょう。ただ、今の会社に就職してからこの方ずっと転職したことのない人にはそのイメージを掴むのは難しいかもしれません。それが当たり前なのですから。自分の場合、会社を転々としてきましたので、「これは違うね、これが会社が代々受け継いできたスピリットなんだよね」という印象を強く受けます。

ここ数年間、会社に元気がないような言われ方を散々されてきましたが、自分が考えるに、このスピリットだけは失わないで欲しいという気がします。それこそ会社のDNAなんだと思うので。

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