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2006年11月

液晶テレビ戦争を傍観して

家にある11年物のブラウン管カラーテレビが突然プツンという音と共に画像が消え、ブラウン管の寿命だなぁ、ということで買い換えを考えることになりました。ちなみに、ブラウン管カラーテレビはコンセントを抜き差ししたらまた復活したので本当のところの理由はよくわからないです。

ある店に行って、話題のメーカー2社(A社、B社としておきましょう)について店員さんに意見を聴きました。A社は国内で液晶パネルを作っていて、動きに強い、B社は外国産のパネルを使っていて色味がかなり赤いのと全体的に画面が明るいので刺激が強い、ということでA社の製品を盛んに薦められました。違う店に行って、また話題のメーカー2社について意見を聴いたら、A社の液晶パネルは確かに国産だが、基板も部品もあちこちのメーカーから寄せ集めて作っている、B社の液晶パネルは確かに韓国製だが、基板も部品もB社が製造している、画面を対比してもその差はほとんど変わらない、B社はブラウン管時代から画質の定評のある製品を作っている、20年前だったらA社の製品は画質を重視するんだったらお勧めできなかった、と言われました。

私は一応AVメーカーの知財マンの端くれですので、実は店員さんの言われることは全部知っていました。確かに、A社の液晶パネルはコントラスト比も一番ですし、応答速度も一番速いのですが、よほどの目でないと見分けはできませんし、これらの数値も単に工場の立ち上がりが一番新しいから、とも言えます。B社の液晶パネルもコントラスト比で言えばA社とほとんど差がありません。

しかし面白いことにA社の液晶テレビの価格とB社の液晶テレビの価格とを比較すると、同じ画面寸法のがないので厳密な比較ができないものの、B社の液晶テレビのほうが圧倒的に安いのです。これをブランド力の差と見るのか、それとも上に書いたようにコストダウンという観点からするとほぼ自社一貫生産ができているB社に軍配が上がると見るのか、難しいところではあります。とは言え、安くてきれいな液晶テレビが買えるんだったらB社の液晶テレビがいいかなぁ、という考えに傾きつつあります。

さて、賢明な読者ならおわかりのはずでしょう、A社とB社は実はどこなのか。B社の液晶テレビは自社製品ですからねぇ。自社びいきってのもあるかもしれません。ただ、こうやって冷静に自社他社比較をすると色々な観点があって面白いです。技術経営という点から見ても、どこにポイントを置くべきか色々と考えさせられます。

裁判所におけるプロパテント

(業務繁忙のためブログに穴が空いてすいまへんm(__)m)

先月、今月と立て続けに米国特許訴訟及び日本特許訴訟の詳細について講義を受ける機会がありました。日米の特許訴訟の相違についてはこれまでも様々な人が説明をしているのでここでは割愛しますが、講義を受けた感想として、結果的に日本で特許侵害訴訟を提起してもあまり得なことはないなぁ、という気がしました(素人っぽい言い方ですが)。

一番の差は侵害訴訟で認められる損害額の差です。米国の場合懲罰的な意味を込めて実際の損害賠償額の3倍まで認められるとは言え、元々の賠償額が日本の場合通常のロイヤリティフィーに毛が生えた程度の額であるのに対して、米国の場合はロイヤリティフィーを大幅に超える額が容易に認められます。日本の場合は訴訟を提起しようが通常のライセンスで妥結しようが大した額の差はないので、侵害し得であるとよく言われるとおりだなぁ、と考え込んでしまいます。

もう一つ、裁判所において特許が無効になる率が日本の場合非常に高いことがあります。米国の場合非自明性の判断が元々甘いといわれることと、まず特許の有効性を前提において議論をすることがあるので、特許の有効性を侵害訴訟で議論するとはいえ訴訟において特許が無効になることについて怯えることはそんなにないわけですが、日本の場合、特に裁判所における進歩性の判断が非常に高い、特許庁が判断する進歩性のハードルのかなり上をいっているという感触があり、特許が容易に無効になるように思えます。

プロパテント政策を日本は取りつつあるといわれていますが、こと裁判に関してはまだまだ日本において侵害訴訟を提起するメリットは少ないように思います。この点、よく考えると由々しき問題であるように思うのですが。

知的財産SNSに期待します

(この話題はipippiに書くべきだったかなぁ…)

ipippiという知的財産に特化したSNSが会員数600名を超えました。当初はもっと限られたコミュニティになるのかな、と思っていましたが、近年の知的財産の関心の高さを物語ってか、非常に裾野の広い会員が多数集まっているように思えます。

当初、知的財産に特化したSNSにどれだけの人数が集まり、コミュニティが活発に活動するか心配していた時期がありました。というのも、あちこちで言われているように企業知財部というもっとも人数が多いであろう母集団自体がどちらかというと蛸壺化している側面があり、他社の知財部門との交流もそれほど活発でない(知財協活動をしている人は別ですよ)のと、知財部門自体のITリテラシーがそれほど高くなさそうで、「SNSって何?」という人が多そうだなぁと思っていたからです。現実に、企業の知財部門の総人数と言われる数万人に比較してipippiに参加している人の中における企業知財部門所属者はそれほど多くなく(多分半分程度)、母集団から考えればまだまだポテンシャルを持っていると思うのですが、とは言え大規模な宣伝活動もせず、招待制にしているにしては結構な人数が集まってきました。ただ、コミュニティ活動はまだまだかもしれません。知財という枠の中でどのような主題を見つけて積極的な活動をするか、この辺で試行錯誤が繰り返されているように見えます。個人的には、かつてのビジネスIPRの分科会のような盛り上がりがあるといいと思っているのですが。

書き込まれている日記やレビューを見ても知財に特化せず本当の日記のような内容になっている場合も多いです。私の場合、普通の日記はこのブログで書いていますから、勢い知財に特化した、しかも他人に読んでもらってコメントが欲しいと思う結構重い主題を取り扱うものばかりになっているので、逆に特色が出ているように思います。個人的には、私みたいな人がもう2~3人いると(いても日記を書いてくれないと意味がないんですが)知財SNSらしくなっていいと思っています。

知的財産自体は、どんどん市民一般のコモンセンスの中に入り込んで欲しいと思っています。そのために、ipippiがもっと大きくなり、普通の人が知財を普通に語れる場になって欲しいですね。

知財担当者の役目とは

つい最近、社内で明細書研修会なるものを外部講師を招聘して開催しました。この講師は実は会社知財部のOBで、現在はさる国立大学知財部の客員教授として講義をしつつ、外部団体で「儲かる」知財活動に関する講師を積極的に引き受け、かなりの評判を呼んでいるとのことです。その評判を聞きつけ、是非にとお呼びして開催しました。

内容は実にシンプルなもので、明細書を作成する際には作成当初から権利活用を意識した文言を選択し、中間処理においても粘れるだけ粘って(例えば分割出願、米国であれば継続出願などを視野に置きながら)権利活用に有利な権利を取得すべきである、というものです。当然、この考えには反論が予想されます。まず、権利活用だけが権利取得の目的ではない、まずはビジネスの自由度を確保するのが第一義的である、また、現在の法体制では分割出願により権利取得できる範囲は原出願の出願当初に記載された限られた範囲であり、むしろ原出願にどれだけの材料を盛り込めるかが勝負である、などなど。

ただ、活用できない権利は(権利行使の有無はさておき)まさに取得するだけ無駄な権利であり、ビジネスを重視するにしても権利活用を重視するにしても「いい」明細書なり権利はある一点に収束するように思えます。それよりも、企業の知財担当者として、何を考えながら仕事を進めるかが一番の重要点であるように思えます。

以前、私はある団体における講演で、発明者と知財担当者と特許事務所とを比較すると、現状では付加価値を一番付けていないのが知財担当者である、発明者は発明という非常に付加価値のあるものを創造する、特許事務所は明細書というこれまた非常に付加価値のあるものを創造する、単なる双方の連絡をしているだけの知財担当者は発明者や特許事務所に比較して付加価値を付けている度合いは非常に低い、という話をしました。ちょうど、IT産業において中間組立工程における付加価値が最も低いというスマイルカーブに似ています。この考えは現在でも変わりありません。知財担当者は企業の経営戦略、R&D戦略を念頭に置いて知財戦略を練り、この知財戦略に基づいて発明を膨らませ、明細書作成をコントロールすべきです。発明者や特許事務所をmanageしてこそ知財担当者が存在する意義があると思っています。この考えは、ソニーOBの中村末広さんが「ムサシカーブ」と称して加工・組立業者が上流、下流をコントロールすべきであるという考えに似ています。

最近、知財担当者は会社の中におけるスタッフ部門の考え方に則るべきであると思っています。スタッフ部門は会社のライン部門の要望に応じてある種のサービスを提供するとともに、自身の情報収集能力に基づいて会社が向かうべき方向を指し示す機能を持っています。大抵の会社では知財部門はスタッフ部門に位置付けられると思いますが、では実際にスタッフ部門として活躍しているかと言えばそうでもなく、ライン部門の下請になっているか、あるいはライン部門と乖離した独立部門のような取り扱いをされている場合も少なくないと思っています。会社は滅びても知財だけは残る、という言葉がありますが、会社あっての知財であることは論を待たないことですから、知財担当者は気概とサービス精神との双方を持って仕事を進めて欲しいと思っています。

特許・情報フェアに行ってきました!

ipippiでも日記に書いておいたので重ねての記録になりますが、特許・情報フェアに行ってきました。と言っても、自分自身は特許システムに関する決定権はないので、物見遊山状態で気楽に行ったのと、個人的な都合で午前中は行けず、午後は1時から4時までびっちりカンファレンスに出席することにしてしまったのとで、ブースをゆっくり見て回るというよりも怒濤の如く回ってみる時間しかなく、雰囲気を味わう程度で終わってしまいました。

特許・情報フェアが隔年開催から毎年開催になってまだ2~3年しか経過していないと思います。それまでは非常に規模も小さく、出展社数も少なくてざっと見て回るのに時間がかからなかったのですが、今年は出展社数も過去最大だそうで、全部見て回るのに苦労しました(と言っても前を通るだけですが)。今年の特徴は、最大手である日立、富士通は以前どおりの規模(日立は縮小したかも)なのですが、それを追うNRIサイバーパテントやIPBといった新興勢力が最大手に負けないくらいの規模のブースを出展しており、様変わりをまざまざと感じました。

それと、特許検索は数年前のデータのアウトソーシング化の流れは一段落し、概念検索やデータマイニングといった情報処理のある程度先端を行く技術の導入により膨大なデータをクラスタ処理し、これを2次元図表で画像化する、という流れが見て取れました。この流れは方法自体間違っておらず、有効な結果が得られるであろうことは予測できるので、できたら自分の会社でも使ってみたい気がするのですが、問題は、データ処理する手順がブラックボックス化されており、なぜこういった図になるかと問われた際に極めて概念的かつ定性的な回答しかできず、データの信憑性に問題有りとされそうな気がして二の足を踏んでしまいます。ブラックボックス化するのは各企業の企業秘密ですから当たり前なので、あとは論理を逆にしてこういった場合に有効だからプロセスはブラックボックスでも使おうという説得をするしかなさそうです。

それにしても、出展社数の多さといい、それに使われるデータ処理方法といい、知財自体が脚光を浴びることが多くなったのだとしみじみ思ってしまいます。この流れが単なる流行に終わらず、是非太い幹に育って欲しいと思います。

ユビキタスな研修

先週、泊まりがけの研修の事務局として、23区内の某ホテルに1泊2日の缶詰状態になっていました。とは言え、マネジメント層を対象とした研修だったので、さすがに2日間もマネジメント層を音信不通にするわけにも行かず、会議室にも宿泊室にも高速インターネット回線が通じているところを研修兼宿泊所に選んだおかげで、ほぼ全ての時間でオフィスと変わらない状態でネットが通じ、メールの送受信もできました。これも時代が進んだ証拠だろうと思います。自分ところの会社の元専務がある講演会で「ユビキタスという言葉ももう古いですね、なぜならもうユビキタス社会は実現できていますから」と言っていましたが、その通り、まだまだ場所は選びますが、いつでもどこでもネットに繋がる社会が段々と実現しつつあります。少なくともある程度のホテルであれば客室に高速インターネット回線が設けてありますし、ロビーでは無料の無線LANスポットが設けられています。空港にも無料の無線LANスポットがあります。無線LANスポットはどんどん増えていくでしょう。そうなると時代はどんどん変わっていきます。

研修兼宿泊所の客室に行ったら、テレビらしきものがありません。その代わりにTVパソコンが置いてありました。なるほど、これなら一石二鳥ですね。ちょっとTVパソコンの画面が小さかったので迫力はなかったですが、全然問題ありません。ついつい自分の家にいるつもりでネットサーフィンに興じてしまいました。これも時代の流れだと思います。個人メールにしても大抵のプロバイダーはウェブメールをサポートしていますから、個人所有のパソコンがなくてもメールチェックはできてしまいます。自宅にいるときと環境的にはほぼイコールの状態が実現されてしまいます。これは不思議な感覚ですね。ちなみに、先週木曜日にUPしたブログは客室から投稿しました。どこから投稿したかなどという情報は敢えて書かない限り分かりませんから、泊まりがけの研修をしたこと自体も自分から言わないと分かりませんね。

こういった変化はここ数年のことなのですが、もうずっと前からこの環境が実現しているような錯覚をすることが時々あります。便利すぎる、ってことかもしれませんね。

目標とする人物って…

ある時、友人に言われたことがあります。「お前は誰か目標にする人を持った方が良い」と。確かに、自分で振り返って考えてみると、「誰かのようになりたい」と思ったことが人生の今までの中でそんなにないことが分かりました。偉人伝とかを読んで感心してもその人に入れ込むことはない、考えてみると随分醒めた少年期を送ったのかもしれません。では、人生の目標はないのかと言われると、目標は逆に明確なほどにあって、それに向かって目指している自分についても明確にイメージできていました。目標となるのは将来向上した自分自身だったのかもしれません。

とは言え、今現在目標になる人がいないかというと、上に書いた友人の言葉を真摯に受けて自分なりに考えた結果、本田宗一郎さんと井深大さんと盛田昭夫さんは到底追いつけないにしても自分自身の様々な局面での目標になりうる人ではないか、と考えるようになりました。いずれも人間自身の存在感は巨大すぎるほど巨大です。いずれも世界的企業を一代で築いた立志伝中の人です。なぜ惹かれるのかと言われると、その人間的魅力、ある意味での周囲の人々を吸い付けて離さない引力にものすごく興味を持つのです。真のカリスマと言えるでしょう。当然、全てにおいて満点を付けられるような完璧な人間ではありません。本田宗一郎さんは我が儘で怒りっぽい、井深さんは女癖が悪い、盛田さんはせっかちなどなど…。それでもなお欠点を感じさせないほどの魅力がいっぱいあります。どう言ったらいいのでしょう。彼らの人生を追いかけているとわくわくする気持ちで一杯になります。

自分の才能なり能力を冷静に考えると、彼らに到底及ばないことは火を見るより明らかだと思っています。自分の人生全てをかけても、歴史上にどれだけのことを残せるのか、せいぜい富士山に一握の砂を投げつける程度のことではないか、と思ってしまいます。しかし、それでもいいから自分は自分なりにベストを尽くして成果を残していきたいと思っています。上に書いた友人の言葉は、夢中になって何かをする姿勢がお前には足らない、という叱責の言葉だと今さらになって気付きました。

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