« SamsungやLG電子の訴訟に思う | トップページ | 知財戦略を立案するのは誰 »

日本的MOTとは??

今日の話題は全く結論が出ていない話ですので、すぱっと歯切れのいい議論を期待されている方はがっかりされるかも。

私がMOT社会人大学院時代に講義を受けた先生の中に、児玉文雄先生という日本におけるMOT研究の第一人者とも言える先生がいらっしゃいます。最近、著作を2つほど(これこれ)上程されましたので、つらつらと読んでみました。児玉先生が日頃から主張されていることとして、MOTの議論はともすると米国企業の解析を主体とした米国の議論が主体になっているが、日本企業におけるMOTは米国企業のそれと違うので、単純に米国からMOT理論を輸入してもそれは通用しない、ということがあります。どのように違うかというのは結構膨大な理論に基づくので、ここでは比較的単純な一例を挙げて説明します。

米国の場合、多角的に事業を展開している技術系の企業は、その事業に関する技術開発の事業性を厳密に考え、将来性がないと考えると直ちにその技術に関する技術開発を中断してしまいます。一方、日本の場合、プロジェクトXに見られるように時に技術者の個人的な思い入れで、時に企業そのものの採算を度外視したとも言える粘りで技術開発を最終的に成功させてしまう場合がままあります。一番いい例が、RCAが表示装置としての開発を断念した液晶装置をシャープが大画面TVを作り上げるまでに成長させた例が挙げられます。ある意味、日本企業は粘り腰で難関を突破することが得意、とも言えます。

他に、米国の場合、新産業創出はベンチャー企業によって行われることが多いですが、日本の場合、新産業創出は類似する産業を行っていた大企業によって行われることが多いです。一番いい例が、米国ではパソコン産業はベンチャー企業によって創出されましたが、日本ではメインフレームを手がけていた大企業がその流れでパソコン産業を手がけました。

こう考えると、確かに米国的MOTと日本的MOTとの間には相違があるようにも思えます。しかし、自分自身は、今現在において米国的MOTと日本的MOTとの差異を議論する意味が段々と失われてきているのではないか、とも思えるのです。

一つには、米国的MOTと日本的MOTとの差異を議論している事例が全般的に古いことがあります。かつては日本企業にも一定の余裕がありましたから、いわゆる「机の下」「密造酒」と呼ばれる上司に内緒で進めるプロジェクトを行うことができました。しかし、現在、技術開発マネジメントは非常に厳密に行われ、そういったアングラ的技術開発が許される環境にはないと思われます。また、経営陣の思い入れに基づく採算を度外視したとも言える長期間にわたる技術開発も株主の目がありますから段々と厳しくなってきています。キャノンが特許問題等様々な苦難を乗り越えてでもSEDを実用化しようというのはキャノンの明確なビジョンに基づくものですが、一方で本業であるプリンタ、カメラ部門がきちんとした利益を上げているから許されるとも言えます。

また、事例が全般的に古いことにも関連して、世間全体がデジタル化、ネットワーク化している現状において、地域的な事情や国民的性向は一つの企業にとって段々と考慮の埒外に置かれる状況にあります。例えば、米国の方がベンチャー企業に向いているであるとか、日本では終身雇用制度が国民的に受け入れられるであるとか。企業はグローバルに行動しますので、ミッション実行にもっとも適切な場所を選びます。加えて、このBLOGでも何回か議論してきたように、オープンイノベーションの時代においてMOTの方法論に国境を設けることに特段の意味を感じないように思えます。

では、国際的に通用するMOT論とは何か…こんな難しいことに答えが出せたら私は大学の教授になれるかもしれません。coldsweats01

« SamsungやLG電子の訴訟に思う | トップページ | 知財戦略を立案するのは誰 »

企業経営・技術経営」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« SamsungやLG電子の訴訟に思う | トップページ | 知財戦略を立案するのは誰 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
フォト
無料ブログはココログ