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2008年12月

in re Bilskiに思う

いよいよ年末になってきました。このBLOGはあちこちで原文を書きためて自宅で更新作業をしていますので、ネットに接続できる環境にある限りは年末年始もなくぼちぼちと更新していきますので、よろしくお願いいたします。ちなみに、この年末年始は大きな旅行もないので順調にBLOGを更新できるでしょうweep

さて、ちょっと古い話ですが、米国CAFCでin re Bilskiという判決が出されました。この詳細についてはちょっとググっていただければ多くのブログで紹介されていますのでここでは細かに説明しませんが、要はコンピュータハードウェアを伴わない純粋ビジネスモデル特許の特許性を否定する判決です。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、ビジネスモデル特許については、State Street Bank事件においてuseful, concrete, and tangible resultをもたらすものであれば特許の対象とすると言う限定の元に純粋ビジネスモデル特許(純粋ビジネス方法特許という言い方が正しいかもしれませんね)が特許される道が切り開かれました。この事件以来、日米においてビジネスモデル特許ブームが巻き起こり、実務的には随分苦労させられました。

以前、このBLOGにも書いたように、ちょうどビジネスモデル特許ブームの頃に、このビジネスモデル特許「ばかり」を取り扱う部署が新設され、私はその部署に配属されて日々社内のビジネスモデル特許を担当していました。その際に結構苦労したのが、米国では上に書いたように純粋ビジネスモデル特許の特許性が(一定の制限下で)認められていましたが、日本ではビジネスモデル特許(特許庁はビジネス関連発明と言っています)はソフトウェア特許の延長線に捉えられており、コンピュータのハードウェアで稼働されることを前提としない純粋ビジネスモデル特許の特許性は否定されていたからです。世の中ではビジネススキームそのものが特許されるかのようなもてはやされかたをしていて、社内でも発明者を中心にそういった誤解がないわけでもなかったので、一々説明するのが大変だったことを記憶しています。特許庁もかなり苦労したようで、こんなページを作って誤解を解くのに苦労していたようです(今でもですね)。

私の理解では、ビジネスモデル特許が特許されるに至った流れは、大きく言えば米国のソフトウェア産業の急成長と米国政府のプロパテント政策との双方のうねりの中で特許付与されるソフトウェアの範疇が拡大していった延長線上にあると思っています。このあたりの流れはもう古い話題なのかインターネット上できちんと解説した資料がなかったので(Wikipediaでも「ソフトウェア特許」の項の過去の経緯の記載が不完全でした、きっとどうやってソフトウェア特許の保護範囲が広がったかという話題は、このご時世ではどうでもいいんでしょう)、特許庁が平成14年法改正の際にプログラムを物の発明に含めたときに、2条1項の発明の定義を変更すべきかどうか検討した資料に簡潔な説明があったのでこれを引用しておきます。

ソフトウェアを特許保護の対象にすべきかどうかと言うのは、かなりの年月(数十年という単位で)議論されてきた話題で、掘り起こすと哲学的な解釈をすべき点もあるのですが(そもそもソフトウェアは特許法2条1項にいう「自然法則を利用した技術的思想の創作」なのかという話であるとか、ソフトウェアは「物」なのかという話であるとか)、コンピュータのハードウェア上で稼働する限りにおいて通常の機械と同様に考えることは十分できるわけで、この範囲内ならば私としては違和感なく考えることができます。ビジネスモデル特許も、ソフトウェア特許の延長線として、しかもハードウェアの縛りをかけておくならば特許保護の対象とすることに問題ないと思っています。

で、in re Bilskiに戻って、ある意味でこれは常識的な判断と言えます。ただ、ここ数年米国に見られるプロパテント政策の揺り戻しと、ソフトウェア特許自体がイノベーション発展の阻害になるのではないかと言った近年の議論とを考えると、この判決の先にソフトウェア特許の保護の見直しが行われる可能性があるようにも思えます。私が読み進めているPatent Failureという本でも(ソフトウェア)特許の権利範囲が不明確であるがために特許取得の件数も増加し、一方で訴訟件数も増加していることが指摘されています。ソフトウェア特許というのは機能的クレームで表現されることが多いですから、その解釈次第で右にも左にも結論がぶれてしまうのは往々にしてあります。これを避けるために、このBLOGでも紹介したSoft IPという考え方を導入することもあり得ます(知財研で検討しているそうです)が、ソフトウェア特許って何?という入り口で議論が尽きないと思うので簡単にはいきそうにもありません。制度的な問題にまで至っていますので、何らかの解決策が必要だと思うのですが…。

不景気なときの特許事務所(その2)

不景気話は以前このBLOGでも記事にしました。最近、「大企業の出願縮小、揺れる弁理士」という題の新聞記事がフジサンケイビジネスアイに掲載されているようです。この記事は、結構事実誤認があったり以前から企業では行っていたりしたことがさもこれから検討されるといったような部分があったりして突っ込みどころ満載です。一々検討するのも面白いのですが、なんだか揚げ足取りっぽくなりそうなので、一つの話題に絞ってお話をしてみます。

この記事の中に、「特許事務所筋から流れてくるのは「電気や自動車関連などの大手企業から2009年度の年間出願経費を3分の1、4分の1レベルで削減するという意向を打診された」という話の数々だ。」という話があります。この話の真偽のほどは定かではありません。と言うのも、この話を真に受けるならば、出願経費をそれだけの割合圧縮できるほどの不要不急の特許出願を過去していたということになるからです。

過去、大手電機メーカーを中心として、年間1万件程度あるいはそれ以上の特許出願をする企業が何社もあったほど、日本の大企業が大量出願戦略をとっていた時代がありました。だいたい80年代を中心と思えばいいでしょうか。この頃の特許明細書を公開公報で見ると、出願書類がB5判であったにもかかわらず、全部で10枚を切るような出願が非常に多数ありました。この頃は、今は当たり前になった多項制が導入されていなかったこともあり、1件当たりの発明の広さよりも出願件数の数で勝負することが優先されていたように思います。その後、90年代に入り、日立製作所が率先して出願件数の数を競うのを止め(と日立製作所は主張しています)、少数精鋭主義に徐々に移行することになります。最近の出願件数ランキングを見ると、まだまだ年間で5000件以上の特許出願をしている企業が何社かありますから、外部から見ると俄に信じられないかもしれませんが、全般的には大企業はむやみに特許件数の数を追うことをせず、1件ごとの特許出願の意味を十分に検討して出願の可否を判断しています。

ですから、特に大企業であれば「無駄な」特許出願は極力減らしてスリム化を図っていますので、不景気になったからと言って特許出願件数を格段に減らすことは困難だと思っています。これ以上出願件数を減らすとなれば、企業が行っているR&D活動を十分サポートできる知財活動が阻害される可能性が出てきます。従って、最近特許庁が表向き審査期間の短縮を図る意味で出願件数の絞り込みを企業に要求していますが、話はそう簡単ではないと個人的には思っています。審査請求率が50%程度であるのも、企業の一つのR&Dプロジェクトの成功率から考えると止むなし、と思えますし、登録率が同じく50%程度であるのも、実際の拒絶理由の引例の出願日と出願の出願日とが結構近接していることが多いので、先行調査にも一定の限界があることを考えるとこれも止むなし、と思えます。ここ10年程度、日本の特許出願件数は若干の伸びまたは平衡状態にあることからも、日本企業は無駄を省いた出願活動をしているのではないか、と思えます。

余談ですが、米国と中国は近年ものすごい勢いで出願件数が伸びています。これは、米国と中国に世界中の企業が特許出願をしているからで、その背景には、これら米国と中国のマーケットの大きさがあるのではないかと推測しています。

一方で、上に書いた話は特許出願1件当たりの手数料圧縮を意味しているかもしれません。だとすると辻褄が合わないとも言い切れないです。なぜなら、弁理士に支払われる出願手数料は根拠があるようなないようなものですから、クライアントである企業から手数料圧縮の意向を示された場合、特許事務所として反論することはそう簡単ではないからです。

もし仮に手数料の根拠を示すとなれば、特許技術者1人当たりのタイムチャージを明確にし、出願1件ごとの平均的な所要時間を算出し、さらには特許事務所の間接部門の必要経費を出願1件に割り当てた費用を算出し、これらに基づいて出願明細書毎のあるべき手数料を提示しないといけないわけですが、そこまで合理的な計算ができる特許事務所は少数でしょうし、そもそも特許技術者1人当たりのタイムチャージにどれだけの合理性があるかを証明することが難しいですから、値下げ要求を認めざるを得ない方向に議論が進んでしまう恐れが多々あります。

ちょっと前であれば、特許出願1件当たりの手数料圧縮は出願明細書にかける時間の短縮化につながり、ひいては出願明細書の質の低下を招くから止めた方がいいですとの反論もできたかと思います。その背景には、一定の売上を確保するには特許技術者1人当たりの(例えば1月当たりの)明細書作成件数を多くせざるを得ないという事情があったわけです。しかし、最近は日本全体の特許出願件数が伸び悩んでいますので、作成件数を多くしようにもできる保証はありませんから、手数料圧縮が質の低下に直接的につながるとの議論はしにくくなってきています。

多分、合理的な手数料の根拠は、その特許事務所に雇用されている特許技術者及び間接部門の担当者が一定水準の生活を維持できる人件費を出し、加えて事務所維持のための必要経費を出し、これを、特許技術者が質を低下せずに作成できる出願明細書の件数で割るといったものに落ち着くと思いますが、特許事務所の業務は非常に多岐にわたっていますので、合理的な手数料の算出作業は一特許事務所にとってはものすごい負担になりそうです。

話が少し長くなりましたが、やや強引にまとめると、不景気だからと言って出願経費を切り詰めるのはそんなに簡単な話ではない、ということです。ただ、こういった議論が出る背景として、そもそも出願手数料の合理的な水準を算出することが困難であることがあり、特許事務所としても強気に出にくいところがあるわけです。

パテントポートフォリオマネジメント

家電産業、自動車産業を筆頭とする世界的不景気に起因する業績悪化のニュースを立て続けに見ていると、知財に関するBLOGをちまちまと更新している事態ではないように思うのですが、かと言って世界経済に関して提言するほどの知見は持ち合わせていませんので、残念ですが引き続き知財を中心としたつぶやきを本当にちまちまとアップしていくことにします。

本日は、パテントポートフォリオマネジメント(PPMって省略されることが多いですね)について思うところを。

パテントポートフォリオマネジメントという言葉は知財業界内ではあまねく知れ渡っているようになったと思っています。パテントポートフォリオマネジメントという言葉はちょっと多義的であるように感じていますが、一番単純にいえば「特許の群管理」ということだろうと思います。どんな基本特許でも1件だけでは関連技術にあまねく影響を与えるほどの価値を持つことは非常に難しいです。例外は医薬品、化学産業における物質特許でしょうか。IT産業(近年はICT産業だそうですね)に所属している自分としては、特許はまとめてナンボ、という感が非常に強いです。ですから、多数の特許をいかに効率的に取得し、これを企業の製品競争力につなげるかが大切になります。

…と文章では簡単に説明できるのですが、いざ実際にパテントポートフォリオマネジメントを行おうとすると結構大変な作業です。なかなか完璧に行えている企業はごく少数派でしょう。以下は結構理想論に基づく説明ですので、自分のところの会社がこれほどの立派なことをしていると思われると面はゆいです。

まず、当該技術に関する他社特許の状況を調査し、概観をつかみます。この際、パテントマップを作ることが多いです。このパテントマップという言葉も非常に多義的で、以前もこのBLOGで議論したことがありますが、その際にこのサイトを紹介しましたのでご参考までに。パテントマップを作成すると、自社の技術的及び特許的な立ち位置が明確になります。

その上で、当該技術に係る事業部の戦略に沿った形で網羅的に出願発明を配置します。ただ、この説明が曖昧に思われた方は非常に鋭い方で、未だに発明を事業部主導で創出するか知財部主導で創出するかについては結構議論があって、その企業の過去の経緯であるとか企業のポリシーであるとかで実務的には様々なバリエーションがあります。なお、発明創出を技術者の発想に委ねていたのではパテントポートフォリオマネジメントはできませんので、ご注意を。発明創出をする際には、その発明の当該技術における位置づけ及び発明の価値を明確にする必要があります。言い換えれば、将来的に有効な特許網を構築できるように、網羅的に発明創出をする必要があると言うことです。もう少し具体的に言えば、当該技術における技術的課題を網羅的に考えてこれを解決する手段としての発明を多数創出し、その際に当該技術における発明の位置づけ(基本発明であるか周辺固めであるか)を念頭に置いて、できるだけ基本発明を多数創出するとともに必要十分な周辺特許を創出して無駄なく網羅的に発明を配置する必要があります。当然、全体の出願件数は合理的な件数に抑えなければいけません。

出願後も当該技術に関する他社特許の状況は適宜アップデートする必要があります。これは、主に出願した発明の登録性の予測と価値判断のために行うものです。価値判断の結果は、審査請求の可否判断及び登録後の権利維持の可否判断に利用されます。加えて、追加的な出願を行うかどうかの判断にも役立ちます。

以上のように、パテントポートフォリオマネジメントは非常に息の長い継続的な作業を必要としますし、当該技術に対する理解と特許の価値判断を要求される作業でもあります。従って、ナレッジマネジメントという観点からすると属人的に流れがちなものであり、これを避けるためにはシステム化が必要とされます。システム化と言ってもナレッジの共有化を図れるのであれば、例えば市販のデータベースソフト(Excelでもいいんですよ)を使った程度のものでも運用は可能です。ただ、特許の価値判断に関してはブレを防ぐ何らかの仕組みが必要です。このあたり、どうするかというのは非常に難しいです。当該技術に関するパテントポートフォリオマネジメントを長期的に特定の担当者に固定すると価値評価の軸はぶれないのですが、この担当者が交替してしまうとがらっと価値判断の基準が変わってしまいます。それを承知で固定化するか、あるいは複数の評価者によるレビューを行うか、でしょうか。ちょっと前のBLOGでも書いたように、この価値評価は定性的に行うことになりますので、価値判断の基準を客観化するのはなかなか難しいです。

なお、あまり規模が大きくなく、(経験値で言うと年間の特許出願件数が3桁の前半程度)技術分野が絞られる企業であれば、パテントポートフォリオマネジメントは1人が集中して行えると思いますし、集中するメリットが大きいと思います。この規模を越えた件数を限られた人数で集中的にマネジメントするのは大変な作業です。やっている企業もあるんですけどね。

環境技術と特許

ちょっと古い話題で失礼。

地球温暖化対策のために先日COP14が開催されていました。この会議の中で、中国などから先進国が有する省エネ技術に関する知的財産権を無償開放するように主張しており、知的財産権の保護を主張する先進国との立場の差が鮮明になっているとの報道がありました。この問題というのは、例えばエイズ薬に対する特許を主張する先進国の企業と安価な販売を希望する発展途上国との対立といった知的財産の南北問題の一環として捉えることができます。

環境問題というのは世界的課題であり、環境技術はあまねく世界に広汎に適用されるべき性格を持ちながら、一方で環境技術とて一つの産業をなすものであり、産業である以上そこには確固たるビジネスモデルが成立しないと長続きしない性格を持っています。産業でなければ行政による強制力が必要となります。例えば、ペットボトルのリサイクルにしてもペットボトルが家庭から無償で提供され、リサイクルされた材料が金銭的価値を持つからこそリサイクルモデルが成立するわけです。

発展途上国からすれば省エネ技術にもそれ相応のコストが必要であり、しかもその省エネ技術に先進国オリジンの知的所有権が付加されていたのであれば自国での広範囲な適用に一定のブレーキがかかるわけですから、無償開放を主張することは当然予想されることです。しかし、省エネ技術開発にも技術開発のためのコストがかかっており、これをコピーフリーな状態で発展途上国に提供するのは当該省エネ技術のビジネスモデルを崩壊させることにもなりますから、先進国としては容易に許容できるものではありません。

これと同様の問題は、前にこのBLOGでも話題にしたエコ・パテント・コモンズも内包しています。つまり、上に書いたように環境問題が世界的課題であることを理由に、環境技術を有する大企業は等しくエコ・パテント・コモンズに環境技術に関する特許を「全て」donateすべきであるという議論が起きる可能性があるわけです。乱暴な言い方をすれば、公共性を盾に知的財産の開放を迫るのはオープンソース運動に似ているとも言えます。しかし、環境技術は上に書いたとおり一つの産業をなすものであり、Chesbroughがいみじくも言うように「オープンイノベーションは、価値創造と価値獲得の源泉としてビジネスモデルを明示的に組み込んでいるところが(オープンソースと)異なる」(オープンイノベーション-組織を越えたネットワークが成長を加速する-)のですから、エコ・パテント・コモンズはオープンイノベーションの一環として捉えるべきものであり、オープンイノベーションを盛んにするという範囲において各企業が環境技術に関する特許をdonateすべきものであると思います。例を挙げるのは申し訳ないと思いつつ、分かり易いので例を挙げると、トヨタ自動車がハイブリッド車に関する特許を全てエコ・パテント・コモンズにdonateした途端、トヨタ自動車の将来にわたる企業競争力は大いに損なわれるでしょう。エコ・パテント・コモンズはそういった事態を求めているわけではないと理解しています。この点、エコ・パテント・コモンズにバラ色の将来を見ている(誤解している)人がおられるかもしれませんのでご注意を。

話を戻して、環境技術は今後の企業にとって宝の山とも言える重要な産業を形成すると考えられます。この環境技術に関する知的財産を無償開放するという方策は考えにくいです。しかし、一方で知的財産には公共的側面もありますので、RAND的な発想は必要だろうと考えています。インドのように(文言上)特許の不実施に対する取り消しを謳っている国家もありますから、知的財産の排他的使用を強硬に推し進めることは最終的にその企業にとって不利益をもたらすことも考えられます。要はバランス感覚なのだと思っています。

知的財産の定性的評価

ちょっと疲れ気味なので短めに。

知的財産の評価というと経済的かつ定量的な評価が注目されていますが、企業実務では定性的な評価、それも「その特許、価値あります?」という評価が結構重要視されています。もう少し言うと、企業にとって経済的かつ定量的な評価というのは社外との知的財産の取引に使うもので、日常的な知財業務にはそうそう顔を出してきませんが、知的財産の定性的な評価は事ある毎に使用するもので、知財業務に欠かせないものです。

定性的な評価がどんなものがあるかというと、まず出願時にその発明がどれほどの価値があるものか、出願すべきかを評価します。出願時に限らず、企業における知的財産の定性的な評価は複数の側面からされます。出願時の場合、(特許要件を満たすとしても)その発明を権利化することでどれほどの価値が得られるかを評価します。これは、将来のマーケットの予測とかその発明が当該技術の中でどのように位置づけられるか(基本的であるか、周辺固めか)などを考慮して評価します。定量的にできないこともないのでしょうが、どうしても予測数字ばかりなので定性的に行う方が当たり外れがありません。また、出願時の価値評価として他社侵害発見の容易性も考慮します。いくら基本的発明であってもチップの中を解析してみないとわからない発明では他社侵害発見の容易性が極めて低いですから、出願は慎重に検討しないといけません。出願すべきかどうかの価値判断の中には、ノウハウとしての秘匿の是非の判断も含まれます。価値判断ということでいうと、上に書いた基本的発明、周辺発明云々という議論はPPMの有効形成という観点で見直すとより効果的です。

その後、権利化手続の進行に伴い、審査請求の可否、拒絶理由を受けた場合の意見書提出の是非、そして、権利化後の権利維持の可否といったステージにおいて、知的財産の定性的な評価が繰り返し行われます。また、職務発明の報奨金算出の際にも定性的な評価が加味されることがあります。これは、包括的クロスライセンスの対象となった特許の場合、自社/他社がその特許で得ている利益を算出することが困難ですから、定性的な評価項目を導入することである程度のかさ上げをして発明者利益を確保する目的があります。ただ、職務発明訴訟の判例を見ると、このあたりの実務が裁判所によく伝わっていないせいか、結構無理な理屈をつけて高めに評価されていることが多いです。余談ですが、日立製作所は職務発明の報奨金算出にあたってできるだけ定量的な評価をしているようです。例の光ピックアップ事件の地裁判決に開示されていますのでご覧になりたい方は最高裁のHPをご覧下さい。

一方、他社特許の評価も企業の知財実務という観点からは定性的なものが主流になります。自社技術との関連性について考えた場合でも、実際にはライセンス交渉なり訴訟なりを経ないと白黒付きませんから、関連性が大であるとか小であるとかしか言えません。

最近、オープンイノベーションの観点から、社内で不要と考えられた特許についても多面的な評価を行うことで他社に売却したり、あるいは社内にとどめて他社へのライセンスを図ったりする動きがあります。基盤技術は産業を超えて利用されていますので、社内の考えだけでは硬直的になりがちで、他社での利用可能性を低く見積もってしまうことがあります。こういった評価も実は定性的な評価がベースになります。他社への売却額は経済的な価値をベースに定量的に行いますが、その前提として使える技術かどうか、価値はあるのか、といった評価をしますので、この評価は定性的になります。

知的財産の経済的価値に関する定量的評価は幾つか書籍も出ていて研究する人もいるんですが、定性的な評価については資料も少なく、研究している人もあまり見かけません。学問的価値がないんですかね。

知財部門として評価して欲しいことと期待されること

本日の記事、なんとこのBLOG開始から数えて200件目です。加えて、言い忘れていましたがいつの間にかアクセス数も15,000件を超えました。こんなBLOGにご愛顧いただき、ありがとうございます。

さて、今日書く話は、一度ipippiで書いたんですが、別の角度で考え直したくなってこのBLOGで書くことにしました。ipippiに入れない人はごめんなさい。

つい数日前、自分が所属する会社が大規模なリストラ策を発表しました。こういったリストラ策が発表される前には、当然のことですが社内的には数ヶ月前からどうやってこの経済危機を乗り越えるかという検討が事前に行われており、間接部門の効率化という観点から知財部門も検討が進められていました。

こういった場合、経営管理部門から説明が求められるのが、ちょっと言葉が変かもしれませんが「知財部門の生産性」ということです。どういうことかと言うと、同業他社に比較して自社の知財部門は知財担当者当たりの出願件数が遜色ないくらいであるから効率的であるといった議論を定量的な数字を出して説明するわけです。こういった数字を、自分が所属する部署が作成して経営管理部門に提出します。

そもそも知財部門の評価が定量的に行えるのかどうかについてはさておき(このあたりの議論をipippiでしています)、知財部門の評価はいったいどのようにするのか、というのは結構難しい問題です。知財部門に属する自分からすると、上に書いたような「知財部門の生産性」という尺度はあまり知財部門そのものの評価には適さないような気がしています。自分が考える知財部門の評価は、詰まるところ知財部門の日常業務が企業活動をどのようにサポートし、間接的にではあっても企業経営に資するかどうかという観点から行って欲しいと思っています。知財部門の目に見えるアウトプットは特許の登録件数であったりライセンス料の多寡であったりするわけですが、実はこういった目に見えるアウトプットは知財部門の日常業務の結果に過ぎず、評価して欲しいのは日々まじめに知財業務を遂行し、これが間接的にであっても企業経営に貢献しているかどうか、ということです。しかし、これでは評価のしようがないので、評価するのであれば毎年の業務計画(言い換えれば知財戦略)の達成度で評価することになるかと思います。とは言え、達成度をKPIなどで数値化すると、知財の場合KPIの設定が困難であると思うので、上にも書いたように企業全体の戦略実行をうまくサポートできたかどうか、という(これは定性的とも言えないかもしれませんが)観点での達成度による評価をお願いしたいところです。

一方、経営という観点から知財部門に何を期待し、何が達成されると評価されるかということをちょっと考えてみます。知財そのものが利益を生む観点は無視できないとは言え、知財の本分は企業活動を支え、自社技術の優位性を確保することであると思います。ですから、知財部門に期待することは、自社の経営の自由度をできるだけ確保する一方、知財にまつわるリスクを最低限になるようマネジメントし、加えて、例えば訴訟の賠償金等により企業の利益をマイナス方向に引っ張ることを極力抑えることだろうと理解しています。この期待に応えるには、非常にシンプルな言い方をすれば「知財業務を真面目に遂行する」ことに尽きます。で、何が達成されると評価されるかというと、これも知財部門の業務が表立って経営遂行の問題にならないことが評価されるという逆説的な言い方になります。なお、近年知財の資産としての活用がclose upされているので、他社との関係で有効に活用していることは加点対象になるでしょう(mustではないということ)。

とは言え、企業の経営効率を考える際、予算と部門規模の見直しは必須ですから「無駄な金を使うな、無駄な人は雇うな」という議論になり、この議論の前提として上に書いたような「知財部門の生産性」を証明せざるを得ないわけです。この議論は企業の間接部門として知財部門がある限り避けて通れない話なので、仕方ないですね。

なお、今日の話はある程度の規模の企業に当てはまることで、中小企業の場合、ちょっとずつ話が違ってきますのでご了承を。

原書は読みたいけど時間が…

以前このBLOGで話題にしたPatent Failureですが、まだ読了していませんcoldsweats01。理由はあると個人的には思っています。通勤時間内に読むのは大変であるとか、他に読む本があるとか…ただ、突き詰めると英語の原書を読むのは骨が折れる、というのが一番の理由のように思えます。もっと英語力があればいいんですがねぇ。

経営学とかイノベーション論の本を読むようになって、up to dateな知識を入手しようとすると原書に当たらざるを得ないことが結構多くなりました。日本人ですから日本語で読めるのは非常に助かるのですが…。そうは言っても、翻訳版が出ればどうしても楽ちんですからそっちに飛びついてしまいます。で、翻訳版を読んでいると、どうも内容的に納得のいかないところが出てくることがあります。その理由の一つは翻訳の不正確さとか原書にある内容を翻訳の際に省略してしまったことにあるようです。

例えば、この間読了した「オープンイノベーション」は、Amazonの書評によると翻訳が不正確でしかも原書の一部を省略して翻訳しているようです。私の会社の知財部門のトップによれば、「違う本を読んでいるのかと思ったwobbly」そうです。他に、「役員室にエジソンがいたら」(原題:Edison in the boardroom)は、私にとって数少ない原書を読了したもので、翻訳版を見たら同様に訳語は不正確、翻訳されていない章がある、と厳しい言い方ですが原書の良さが半減していた感じがしました。これから読もうとしているもう一つの「オープンイノベーション」(原題も邦題もこうなので非常に混乱します)は、翻訳の正確さは大丈夫そうですが、文中にreferされている参考文献リストが翻訳版に省略されていて、気になる文献があったらどうしたらいいんだろうと思っています。

理工系図書でこんな話は聞いたことがないので、もしかしたら経営書のように数多くの書籍が発行され、しかも鮮度が命の書籍の場合、出版社の考えによって適宜省略がされることがあり、また、翻訳を急ぐあまり正確さに欠けることがあるのかもしれません。しかし、全ての経営書がそういった指摘がされているわけではないので、よくわかりません。

ちなみに、クリステンセン3部作と呼ばれている「イノベーションのジレンマ」に始まる3冊の本は、最初の2冊と最後の1冊(「明日は誰のものか」)とで翻訳者が変わっています。「明日は誰のものか」の翻訳者あとがきで、いみじくもご本人が前2冊の表現を参考にしながら敢えて変更したところがありますと言われているので、こういった場合は非常に良心的なのだと思います。とは言え、訳語が違うことで、実際にちょっとtranslateしながら読まなければならない箇所がありましたので、やはり翻訳は難しいなぁ、としみじみ思いました。

できたら最先端の経営書を日本語で読みたいというのは贅沢な考えなのでしょうか、やはり原書で読むのが一番なんでしょうねぇ。どうしよう…。coldsweats02

CIPOという役職

最近、CIPO(最高知財経営責任者)という言葉がはやっています。知財推進計画2006にもCIPOの設置を推奨しています。CIPOフォーラムというWebサイトもあります。しかし、このCIPOという存在、自分にとって今ひとつよくわかりません。何がわからないかというと、①CIPOは何をする人物なのか、②CIPOの会社内での位置づけ、この2点がよくわかりません。これら2点は実は裏腹の関係にあるので、両方について考えてみます。

ある程度の大企業になると、知的財産担当役員が設けられています。具体的な企業名を出すのはよろしくないのかと思いますが、ちょっと具体的に考える意味で例を出すと、日本IBMには法務・知財・コンプライアンス担当の取締役執行役員の方がいらっしゃいます。この方は私も何度かお会いしたことがあります。確か日米両方の弁護士資格をお持ちです。キヤノンの場合、知的財産法務本部長の方が専務取締役をされています。こうやって考えると、知財推進計画が言うまでもなく、知的財産担当役員は企業に存在していますし、仮にこういった名前がない、言い換えれば知的財産を専門に取り扱う役員が存在しなくても、知的財産に関するオペレーションの判断を行う必要性があれば担当すべき役員がアサインされているはずです。例えばマイクロソフト株式会社の場合、法務・政策企画統括本部長である執行役の方がいらっしゃいます。

自分の会社の知的財産担当役員(執行役・専務取締役)は技術戦略なども担当していますので、上に書いたように知財専門の役員というわけではありません。しかし、知財部門のオペレーションを議論する部門内会議には定期的に出席し、部門の方針に対して種々のアドバイスを行い、オペレーション上の判断を行います。そして、知財部門の中期計画の立案、実行について責任を持っています(立案の細部については、以前議論したように役員がすることではないですから)。このように、知的財産担当役員は、会社全体の知的財産に関するオペレーションに責任を持って行動しています。

ある程度の企業になれば、知財業務を定期的に行う部署が設けられています。そして、企業は、どのような部署であれそのオペレーションについて責任を有する役員がアサインされているはずだと理解しています。このような役員がCIPOであるならば、殊更にCIPOの設置を政府自体が推奨することはないように思えます。

次に、CIPOと呼ばれる役職は役員でなければならないか、ということがあります。企業内の位置づけとして経営陣でなければCIPOではないのか、ということです。米国企業の場合、General Councilという法務担当役員が大抵設けられていますので、CIPOを設けるのであればGeneral CouncilとCIPOとの関係についての調整が必要です。ちなみに、米国大企業はGeneral Council以外に知財担当のVice Presidentを最近は設ける傾向にあります。

ここで注意しなければならないのが、企業経営と実務とは近年分離される傾向にあり、会社の経営陣を構成する役職としても取締役と執行役(あるいは執行役員)とは明確に分けられてきています。企業経営に重大な影響を及ぼす事項については取締役会での議論及び結論が必要ですが、知財部門のデイリーなオペレーションまで取締役会で議論される必要はないわけです。ですから、CIPOが取締役でなければならない必要は全くありません。一方、知財部門にもこれを統括するトップがいます。この知財部門トップと知財担当役員とが兼任している場合、話はスムースですが、知財部門トップと知財担当役員(専任であるかどうかはさておき)とが別の人物である場合、どちらがCIPOなのかと考えると、企業のオペレーションに対する責任の重さを考えると、知財担当役員がCIPOと呼ばれるべきであると思います。

以上考えてみると、現在でも専任であるかどうかはともかく知財担当役員は企業内にアサインされていますし、CIPOという役割からすれば知財担当役員がCIPOであるべきだと思うので、CIPOの新設を声高に主張する意味合いがどうも理解できません。確かに、企業のオペレーションにおける知的財産の占める割合及び重要性は近年高まっており、その重要性を認識する意味でCIPOという役職を設けるべきであるとの主張は理解できなくもないのですが、上に書いたように既に企業内における各役員の担当が明確になっていると思われるので、殊更にCIPOという役職を取り上げる必要性が今ひとつよくわかりません。規模が小さい企業の場合、知財担当役員としてアサインされている認識のない担当役員がいるかもしれませんが、規模が小さければ各役員はマルチに活動するべきものですからCIPOだけを取り上げて新設を推奨することもないように思えます。

米国ビッグ3の経営危機に思う

本日の話題は、あまり適切な裏付け資料がないままに書いているのでもしかしたら間違いだらけかもしれませんが、自分なりの感想、ということでご容赦を。

ここ数ヶ月、アメリカのビッグ3と呼ばれる米国自動車メーカーの危機的な経営状況及びこれに対する政府の救済策(の是非)についてニュースで報道されています。では、なぜこのような危機的な経営状況に至ったのか。ちょっと考えてみることにします。

米国の自動車産業というのは、私が考えるとちょっと特殊な産業であるように思います。つまり、日本の自動車産業が、自国の市場がそれほど大きなものでないこともあり、かなり以前から海外への輸出を積極的に行っており、例えばトヨタ自動車の場合、2007年度で国内での販売台数が200万台程度であるのに対して海外での販売台数が600万台程度と海外の販売比率が圧倒的に大きいのに比較して、米国の自動車産業は、米国という世界一の市場を抱えていることもあり、例えばGMの場合、2007年度第2四半期でみると海外の販売比率が58%と(まあそれでも大きいんですが)日本の自動車産業に比較してそれほど大きなものではありません。

米国市場のことを取り上げているのは、その特殊性にあります。米国の自動車は、大別していわゆる乗用車とSUV、ピックアップトラック、ミニバンを包括する小型トラックとに分類されます。そして、ちょっと日本の常識では考えにくいところもあるのですが(私だけの常識かな)ここ数年で考えると、乗用車と小型トラックとは販売台数でみるとだいたい50%ずつあります。乗用車と小型トラックとで比較すれば燃費のよさは乗用車が圧倒的にいいわけです。ここ数年は米国の自動車市場は米国市場の好景気に引っ張られて燃費のことを考慮することなく小型トラックの売れ行きが非常によく、米国の自動車産業もこの傾向に引っ張られて小型トラックの開発及び生産を積極的に行ってきました。しかし、この1年ほどのサブプライム問題を発端とする不景気及び原油価格の高騰に伴うガソリン価格の上昇により、小型トラックが一気に売れなくなり、これによりビッグ3の業績の急速な悪化を招いたと考えられます。

考えてみると、この傾向というのはある意味で米国の文化とも言えるのかもしれません。かつて、米国のガソリン価格は1ガロン(約3リットル)あたり1ドル台でしたが、今年は一時期的に4ドル台に到達しました。1ガロンあたり1ドル台というのは日本で考えると信じられない安い価格です。これでは燃費云々を議論する気にはなりません。これが一気に4ドル台に突入したのですから、いかなアメリカ人とて燃費のことを考慮せざるを得なくなったと言えます。燃費の良さに関しては日本の自動車産業(及び韓国の自動車産業)の得意領域ですから、一気に乗用車、特にコンパクトカーが売れるようになったわけです(とは言え、景気悪化によりコンパクトカーそのものも売れ行きが急速に悪化していますが)。

こんなわけで、米国の自動車産業は燃費のよい自動車の開発にかまけていたと言えます。景気悪化を何年も前から予測することは難しいとは言え、コンパクトカー市場を日本及び韓国の自動車産業に明け渡し、自らは利幅の大きい小型トラックに集中する戦略はいかがなものかと思えます。

そうは言っても、米国の自動車産業は米国にとって4万人もの従業員を抱える巨大産業となっています。特に、基幹製造業のほとんどを手放してかなりの製品を輸入品で賄っている米国にとって、自国に残された貴重な製造業である自動車産業まで手放すという判断はできないでしょう。こうなると、政府による救済策はやむなし、との判断になると思われます。また、ビッグ3が経営破綻すれば米国社会に与える影響は計り知れないところがあります。当然、ビッグ3の経営トップが認めているように、これまでの経営判断のミスについては徹底的な経営責任が問われると思いますので、現状のままでビッグ3が救済されるという方策は考えにくいでしょう。現在の経営陣の総退陣、厳しいリストラは避けられないところです。ただ、現在の経営陣が燃費のよい車の開発を進めるという発言をしているのは遅きに失した感があります。一つの車を開発して販売するまで4~5年という年月がかかります。これだけの時間だけビッグ3が持ちこたえられるのか、ちょっと疑問があります。

公的資金導入に対する市民の抵抗が大きいのは心情的にわからないでもありません。ただ、上にも書いたようにビッグ3の経営破綻はどうしても避けなければならない事態だと思うので、今回ばかりは何らかの形で救済が必要でしょう。とは言え、ビッグ3自体が車種のラインアップを含めて構造改革を行わない限り、明日はないと言えます。

企業と弁理士との力関係

創英の長谷川所長が、春秋の祝賀会でスピーチされた際の内容をご自身のBLOGで再現されています(創英って何?春秋って何?という方はググっていただくしかないのですが…)。一番気になったのが、「弁理士は一人では非常に弱い」というくだりの話でした。このあたりの話、自分のBLOGでも依頼人との力関係についてちょっと議論したことがあるのですが、再度お話をしてみます。

弁理士と依頼人たる企業との力関係の差(結構圧倒的なものがあります)について思いを至ったのは自分が特許事務所に勤務していた頃でした。その頃から弁理士会の研修会などで最新の知識を導入していたつもりだったのですが、法改正情報、知財業界の世界的動向といった弁理士一人では到底収集できない情報を企業の知的財産部門が持っていることに驚かされました。実際、自分が企業内弁理士になってみると、同業他社の情報、知財協や経団連からの情報、さらにはこれら団体から流れてくる特許庁、経産省の情報が企業には多く流れ込んできており、弁理士一人では太刀打ちすることもできず、ともすると弁理士会からの情報でも間に合わないことが多々ありました。

情報収集に関して有利なのは特に一定規模以上の従業員、出願件数を備え、知財活動を長期的に行っている企業です。このような企業の場合、それまでに培った情報ネットワークもありますし、その企業の知財に関する動向が各国の知的財産行政に影響する割合も無視できませんので、特許庁、経産省もそういった企業の意向を無視することができなくなります。そして、このような企業は知財部門がかなりの社員数を持ち(3桁の知財部員を有する企業は結構な数あります)組織的に活動していますので、通常の知的財産業務、例えば権利形成業務やライセンス業務に従事する社員以外にも(私のような)企画管理、渉外業務に従事する社員を専任で確保することができます。このような企業の組織力をもってすれば知的財産業務全般に関するものすごい力を発揮することができます。

弁理士会も委員会活動や知財中央研究所といった組織を設け、知的財産業務全般に関する知識収集に努めるとともに様々な研究、意見発表等を行っています。しかし、委員会活動等の成果を弁理士各人が共有するにしても一定の限界があります。そして、弁理士会対企業という構図で考えても、やはり企業と比較して力の差は歴然とあります。これは依頼人対被依頼人という関係だけでは説明できません。自分の記憶では、弁理士の数が増えたと言っても企業知財部門に在籍する社員数の方が多いはずです。で、弁理士は個別活動が多いですが企業は組織活動が多い。こんなことを考えると弁理士が企業に太刀打ちできるはずはないのではないか、と思えてきます。

この状況を変えるには、前のBLOGにも書きましたが、弁理士個々のスキルアップ(底上げと言っていいでしょう)と専門性の追求に尽きるように思います。最近、例のイノベーションと知財政策に関する提言書を特許庁担当者が説明にきた際に、「パテントパトロールなる存在(パテントトロールって言葉もご存じなかったようでsad)を始めて知りました」とか「パテントトロールに関する対処を行うよりは特許庁はもっとやることがあるだろう」とかとんちんかんな質問が連続してほとほと呆れたことがあります。弁理士はまず依頼主たる企業と特許庁との間を往復する生活を見直し、もっと社会に目を開く必要があるのではないでしょうか。弁理士自身が社会的に尊敬される存在になってこそ地位向上もあり得ます。そして、仕事を企業が依頼するというよりは企業が依頼してくるほどの専門性を持ってこそ企業との力関係が徐々に改善するのではないかと思うのです。

なお、上にずっと書いたことは中小企業だとかなり状況が変わってきます。このあたりの話は知財コンサルタントとからめて書いた方がよさそうですので、今日はここまでで。

事業部との連携

知財戦略といった高尚な言葉を使うまでもなく、知財の業務は事業部の業務と連携して動かないと意味がありません。知財部門の組織論として知財部門の一部を事業部に取り込むかどうかと言うのが結構真剣に議論されており、実際に事業部が日本各地に点在する場合は事業部の一部に知財部門の担当者が駐在したり、逆に、事業部門の社員が知財の業務を行うこともあります。この二つ、よく似ている話なのですが、指揮命令系統の問題でこれらを分けて考えている会社は多いです。

さて、基本的な話として、知財業務と事業部の業務との連携はどのようにして行われるか、ということがあります。ただ、この話、基本的でありながら結構難しい問題も孕んでいます。一番大きな視点で考えると、知財部門の各年度の計画(戦略でなくてもいいんですよ)と事業部の各年度の計画の連携があります。本当は、これに企業全体の各年度の計画の連携が絡んでくるんですが、3つ一緒に話すと大混乱を生じるのでとりあえず事業部との連携について話を絞ります。理想的には、知財部門と事業部の各年度の計画はきちんと連携すべきことになります。しかし、決めるに当たってどちらを優先するかで結構悩むことがあります。事業部の次年度の重点研究開発テーマ、重点商品開発スケジュールを知らないことには当該事業部に関連する知財部門の次年度の計画は立案できません。こう考えると優先度は事業部側にあるように思えます。しかし、知財部門全体の次年度計画は企業全体の年度計画や知財部門自身の意志によって決まる部分も多々あります。端的に言えばどちらがイニシャティブを持って決めるか、ということに尽きるのですが、現実的には非常に密な連絡を持って同時進行的に決めることにならざるを得ません。

知財部門と事業部の連携にはまだまだ数多くの事項があります。上に書いた事業部の次年度の重点研究開発テーマ、重点商品開発スケジュールを入手することで次年度の当該事業部に関連する出願件数の見積が出てきます。また、第三者特許に対するクリアランスの準備ができるようになります。これら準備ができることで、時期に適ったリエゾン活動やクリアランス活動ができ、事業部から販売される商品に対して適切な知財活動を行うことができるようになります。当然、今話したことはかなり理想論で、事業部から適切な情報が入手できないがためにあたふたすることはしょっちゅうです。クリアランスの結果、設計変更や時に部品調達先変更といった重大な情報を事業部のトップに進言することも必要となってきます。同様に、ライセンス取得(クロスライセンスを含む)に関するアドバイス(ライセンス取得の有無の決定権は事業部側にありますが、実際の作業は知財部門がします)も行います。当該事業部に関連する製品が訴訟に巻き込まれていれば逐次状況報告します。そして、類似品を製造している他業者がいた場合、製品情報や特許情報を相互に連絡し合い、どのような方策をとるか検討します。

このように、知財部門と事業部との間には密接な連携が必要になります。どちらの部門がどの情報をいつまでにどうやって提出するか、といった細かいことをきちんと決めておかないと抜けが多くなります。スケジュール化をしないと難しいですね。

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