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2009年9月

「支援者」としての弁理士活動

本日は、日本弁理士会の研修会に参加してきました。題名は、「企業を活かす知的資産経営」ということで、経済産業省も積極的に支援している知的資産経営報告書の流れと知的資産経営報告書の実例の概要(結果的にある企業に存在する知的資産の説明)、そして、知的資産経営報告書へ弁理士がどのように関与していくか、という内容でした。知的資産=見えざる資産という視点から考えると、企業に蓄積されたコア・コンピタンスをどのように棚卸しし、これを将来の事業計画につなげるかという経営戦略セミナーに実質なっており、弁理士としてどう関与するのかを考えるにはちょっと遠いかな、という気がしていました。ただ、個人的には企業の経営手法を学べた意味で大変興味がありました。

面白かったのが、今回の研修会は、中小企業基盤整備機構との共催だったことです。この団体、中小企業診断士と深い関係があり、今回の研修会の講師も肩書きは帝国データバンクの社員の方なのですが、中小企業基盤整備機構からの紹介を受けて来られたとのこと。今まで弁理士は中小企業診断士と近いようで遠い仲だった(ローカルなつながりは結構あったと思いますが)ので、これを機会に交流が深まればいいと思っています。このBLOGでもずっと話題にしてきた知財(経営)コンサルティングも弁理士と中小企業診断士とのcollaborationがあるとずっと視野が広がります。

講師の方が盛んに使っていて、多分弁理士にとってちょっと新鮮だと思われたのが、「支援者」という表現です。これは、講師の方が立場上中小企業診断士や企業経営者に対するセミナーを多数行っておられると思われ、そもそも中小企業診断士が「中小企業の経営課題に対応するための診断・助言を行う専門家」として位置づけられており、単純な分析に止まらず、中小企業に対して様々な助言をすることを求められているからです。支援という表現には、経営をするのは経営者であり、中小企業診断士はその後押しをするというニュアンスが色濃く反映されています。考えてみると、弁理士は出願人のことを顧客=クライアントと表現することがほとんどですが、企業たる出願人を支援するという立場に立つことはそんなにありません。企業における発明創出活動をoverallにサポートする、あるいは企業の従業員に対する知財教育活動を一手に引き受けるといった機会がない限り、弁理士は企業からの発明提案に対していかに「いい権利を取得するか」という視点に沿った活動をすることになります。それはそれで弁理士の王道ですからおろそかにすべきではないのですが、弁理士が知財(経営)コンサルティング活動を行うのであれば、「支援」という観点抜きに活動をしたのではコンサルティング活動が単発的に終わり、企業に知財活動が根付かないままになってしまいます。

今までの特許事務所の事業構造のままで考えていると、企業に対して単に発明提案を受ける立場になったり、あるいは逆に、知財の専門家としてあるべき姿を説く立場に立ったりしがちのように思います。これからは、弁理士も企業の「支援者」として共に知的財産を積極的に活用できる活動を行うという考え方も同時に必要なのでは、と感じました。

グリーがDeNAをゲームソフトの著作権侵害等で訴えたようです

あまり知財系BLOGで話題になっていないのが不思議なのですが(944がすごいショックだったのかなconfident)…グリーが、DeNA及びゲーム制作会社を相手取って、携帯電話機用釣りゲームの著作権侵害及び不正競争防止法違反を理由に提訴しました。

わたしの前にいた会社では、著作権判例百選に掲載されるような案件を2つも私の在籍中に扱っており(案件自体は私は間接的にタッチしました)、それ以外にも当事者間の交渉をしたこともあるので、ゲームソフトに関する著作権訴訟の理論構成の難しさは身をもって感じているところです。

弁理士試験等で著作権の有名判例に触れたことがあればお分かりの通り、ゲームは主に「映画の著作物」、「プログラムの著作物」の2面から捉えられます。プログラムの著作物の場合、ソースコードの同一性に立ち入らなければならず、ソースコードを模倣しない限りなかなか著作権侵害との判断がされませんが、映画の著作物の場合、画面やストーリーの同一性という、やや包括的な同一性で勝負することができ、プログラムの著作物としての著作権侵害を議論するよりは、より広い範囲での模倣品に対して対応することができます。とはいえ、著作物の同一性の範囲はそれほど広いわけではなく、アイデアを借用した程度では著作権侵害との議論をするのは大変困難です。そのため、画期的なゲームジャンルを創出できるほどのゲームについては、特許権を取得してこの特許権の活用を図る方が実効性があると言えます。事実、音ゲーの特許に関しては種々議論があるところかと思いますが、最終的にはそれなりの実効性があったのではないかと思っています。

今回の訴訟では、著作権侵害とともに不正競争防止法違反についても同時に対象としています。多分、不正競争防止法2条1項1号にいう商品等表示に該当するという論理構成だと思います。この論法は、ゲームソフトが著作物であるとの判断がされる以前に判例で認められていたものです。この場合、ゲームソフト画面のインターフェース等も対象となるため、間口が広そうに見えますが、不正競争防止法2条1項1号の商品等表示には周知性も要求されますから、立証側がその周知性を証明しなければなりません。これはかなり高いハードルです。

私は関係者ではないので(しかも同業者でもなくなってしまった)、この訴訟の背景にどのような事情があるのか全く分からないのですが、勝訴を勝ち取るには原告側には相当の努力が必要であるように思えます。その努力をしてまで何を求めたいのか、この点がかなり気になります。

特許事務所の事業構造

本日はちょっと辛口のお話を。

ある知財系BLOGの記事から、こんな2chのスレがあるのを教えて貰いました。

潰れそうな特許事務所について語るスレ
ブラック特許事務所の見分け方☆Part6

知っている方も多いのかもしれませんが、まぁ、2chのスレですから、書いてあることの全てについてその信憑性を云々しても仕方ないものの、一部はある種の内部告発的な内容にも読め、さもありなんと思う部分があります。

長年、特許事務所は大企業依存型の事業構造をしており、かつては大企業を中心として質より量の特許政策をとっていたため、大量の特許出願を代理する必要がありました。一方で、政府の政策として弁理士の大幅な増員は抑制されていたため、実質的に弁理士が特許出願の全てに深く関与することは物理上無理とも言える状態にありました。このため、特許技術者という明細書作成(の補助)者の存在が必要不可欠であったわけです。なお、私は今でも特許技術者の存在が不要だとは言いません。明細書作成技術に優れた特許技術者は数多くいます。きちんと弁理士が最終的責任を負う(見ればいいというわけではないですよ)のであれば、問題はないわけです。

問題だったのは、少数の弁理士と多数の特許技術者というアンバランスな状態でした。何が問題かというと、特許技術者のスキルも多様ですから、全ての特許技術者が優れた明細書を作成するわけではないので、当然の如く、弁理士は特許技術者が作成した明細書を逐一チェックし、法律上問題のないレベルに保証する責任を持ちます。数的バランスが崩れた状態では、そもそもチェック体制を確保することも難しいです。こうなると、その特許事務所の明細書の質を担保する体制を確立することはできにくくなります。同様に、特許技術者を教育する(明細書作成技術はOJTが一番であると私は未だに思っています)ために、弁理士が直接指導しうる特許技術者の数も一定範囲に限られます。この結果、やはり特許事務所の明細書の質を担保することは難しくなります。

もう一つ、事務所内の所得配分に関する問題もあるのですが、これは、事務所によって弁理士と特許技術者との間にさほど給与体系に差をつけていない、ある意味で公平な実力主義を取っているところもある一方で、対外的な信用度の差を理由に資格の有無で厳然とした給与の差をつけている事務所もあるようで、一律なことは言えません。給与体系は特許事務所によってまちまちですし、人材の流動性も非常に高いので、事務所も給与体系の見直しを適宜行っているようですから、ここではこれ以上の話はしません。

そうこうしているうちに、大企業を中心として特許出願数の見直しを図る動きが顕在化し、一方で知的財産そのものに対する必要性が認知されたことを契機に弁理士の合格者数が飛躍的に増加し、特許事務所の経営形態も変わらざるを得なくなっています。とは言え、旧態然とした特許事務所もあり、現時点ではまだらな状態にある(つまり過渡期にある)のだろうと思っています。多分、国内のクライアントからの大量出願に対する依存度が高い大事務所は、何らかの経営形態の見直しに迫られていると思っています。一方で、外国のクライアントからの出願に対する依存度が高い特許事務所は、国内のクライアントほど日本市場(特許の観点からの)の魅力度が変化してはいなさそうなので、とりあえず危機感を募らせてはいない様子です。

もう一つ、現在の特許事務所のほとんどは小規模事務所であり、小規模事務所の中には小回りの良さを活かしてどんどん経営形態を変化させて時代に対応している事務所も多く見受けられるのですが、一方で事務所は一つの企業体ですから、この企業体内で自己完結してしまうがために時代の流れに取り残されそうな事務所もあるようです。小規模事務所の良い点でもあり悪い点でもあるのが、人間関係が非常に狭い範囲で固定されることです。これは中小企業であれば当然のことなのですが、人間関係が固定されることが人材の定着率の向上につながらないのが困った問題です。

上に書いたような特許事務所の事業構造の変化に対応する一つの解として、このBLOGでもさんざん書いてきた知財コンサルティングへの進出があると認識されているようです。ただ、大企業に依存した事業構造を持つ特許事務所が知財コンサルティングを行うには、かなりの自己改革が必要だと思います。知財コンサルティングへの進出と並行して、大企業たるクライアントに選ばれるにはどうしたらいいのか、という視点も当然ながら必要です。

特許出願の質の向上を必然的に選択することになった企業は、特許事務所の業務の評価をし、この評価に基づいて特許事務所を選別しています。この作業自体は決して最近の出来事ではなく、ある規模以上の(どこから、とはっきり言えないのが難しいところですが)特許出願をしている企業であれば、かなり前から(これもいつから、とはっきり言えないのが難しいです)行っている作業です。まぁ、特許事務所の立場からすると、企業の特許担当者にも業務の質にかなりの差があり、何とかして欲しいと思う場合もあるだろうなぁ、と思うんですが。実際、特許事務所であれ企業知財部であれ、担当者のレベルを揃えるのは至難の業です。大抵の場合、言い方は悪いですが、全体の評価は最低レベルの評価に引っ張られてしまいます。特許業務はその人の適性に左右される問題が結構あるので、ある意味冷徹な判断が必要となります。また、上にも書いたように、教育するにしても指導者が教育できる人数は限られますから、やはり特許事務所の事業構造は変化せざるを得ないのだろうと思います。

パラダイムシフトが起こる場合、全ての関係者がhappyであり得ることはなく、何らかの痛みを伴わざるを得ません。弁理士が高所得者である(あるいは弁理士になると高所得者になれる)という幻想を持っている人は少数派になっていると信じたいのですが…できれば使命感と達成感を求める人が知財業界で多数派になって欲しいと思っています。

巨人の肩の上に立つ

今日(もう昨日ですか…coldsweats01)、東大の知的資産経営総括寄付講座の公開セミナーに参加してきました。講師はご存じ人気の妹尾先生。感想はどうかというと…聞かないでくださいdespair。最近、できるだけ人間穏やかに暮らそうと思ってはいるんですが、会社としては妹尾先生の問題意識の先を既に考えているので、たいてい既に考えたことのある話ばかりだったのと、事実誤認が幾つかあってよく考えると論理構成がちょっと辻褄が合わないな、と思ったので、2時間聞いているのが苦痛でした。思えば、この公開セミナー、最初の1回以外はいい思いをしてないのです。だったら行くな、と言われそうですが、今度こそはと思いながらその都度裏切られて、自分としても困っています。

とはいうものの、内容はともあれこういった産業構造の話と知的財産とを絡めて議論するセミナーというのは、私が試行錯誤しながら勉強していた頃(とは言っても10年も経ってないんですが)にはごく少数であり、東大知的資産経営統括寄付講座ばかりでなく、幾つものセミナーで議論ができ、しかも、日本知財学会という学会までできてしまった現状は、夢のような状況のように思います。今日の会場にも若手の参加者が結構な数見受けられ、若手の参加者にとっては、私が悩んできたところを一足飛びで結論を聞けるわけで、幸せなことだと羨ましく思ってしまいます。

有名な言葉で、「巨人の肩の上に立つ」という言葉があります。これは、学問は先人の多くの研究の上に成り立っている、ということを指しています。巨人の肩の上に立っているからこそ、遠くまで見渡すことができるわけです。自分の職場での活動も、また、日頃考えていることも、自分のオリジナリティというのはほんのわずかで、その数多くの積重ねが遅々としてはいても世界を変えることができるのだと思っています(大学時代の教授は、「富士山に砂を投げるようなものだ」と言っていました)。若手の参加者の皆さんにも、この恵まれた状況をポジティブに活かして、様々な活動をしていただきたいと思うのです。

ゴーイングコンサーンって言ったって…

土日になると、ちょっとゆっくりでき、BLOGに何を書こうかな、という題材を考える余裕が出てきます。最近は平日はちょっとばたばたしていて…。

さて、最近、中沢孝夫さん(現在は福井県立大学経済学部の特任教授をされているそうです)という方が書かれた「中小企業新時代」という本を読み進めています。この本は、徹底した現場調査と各種調査機関が作成した報告書に基づく中小企業に関する実証研究を行い、今後の「日本の」中小企業が進むべき道について明らかにしようというものです。私は不覚にも知らなかったのですが、ベストセラーになったという話があります。なにせ、岩波新書という非常に格の高い本ですが、書かれた当初は著者はそれほど一般的に知られた経営学者ではなかったと思うので、岩波書店の担当者の慧眼に感服するところです。

書評は、読み終わったところでまとめてしたいと思っていますので、本日は、途中まで読み進めたところで面白いと思ったところだけを取り上げます。日本における中小企業の一大集積地である東京都大田区における中小企業経営者のアンケート調査によると、かなりの中小企業が昭和30年代にかなりの若さ(30代くらい)で起業しており、また、従業員が相当少ない(4人以下とか)中小企業がかなりの数を占め、そして、次世代への事業承継を積極的に考えていない(自分一代限りで十分ということ)ことが明らかになったそうです。

このBLOGでも何度か取り上げたように、経営学で言えば企業はゴーイングコンサーンが原則、と言われます。これは、企業が社会的存在であることから要請される(そもそも第三者からの出資を仰いでいれば、企業継続を放棄することは出資者の意思とは異なる)原則であるわけです。この、ゴーイングコンサーンを原則と考えると、中小企業であっても事業承継を積極的に考えるべき、という理屈になります。しかし、小規模経営に止まる企業にとって、ゴーイングコンサーンがどれだけ要請されるかと考えると、変な言い方かもしれませんが、市場からの退場が好ましい事業形態、経営状態であるならば、無理にゴーイングコンサーンを目指して頑張るよりも、一代限りの事業で十分と考える割り切りもありうべし、なのだろうと思います。これは正常な産業構造の新陳代謝だ、ということです。

前のBLOGにも書いたとおり、自分は父親の工場を承継しませんでした。事実、父親が経営していた規模の状態で私が工場を承継しても、将来の見通しはかなり暗かったでしょう。思い切った事業転換などが必要だったと思います。そして、事業転換で一息ついたとしても、産業自体が非常に急速に変化していますから、振り落とされないように努力するだけでものすごい苦労が必要だったと思います。ですから、ある意味割り切って旗を降ろしたのも正解だったようにも思います。父親の工場仲間の子供も、かなり事業承継せずに工場が一代限りになったところがあります。それは、事業規模等を考慮すれば無理からぬところがあったと理解しています。

このことばかりでなく、経営戦略本に記載されている事項を中小企業に応用しようとした場合、なかなか難しいことがあるようにおぼろげながら思っています。現実に正直に向かい合いながら、中小企業にあったコンサルティングを行う必要性とその難しさを考えると、かなり気合いを入れてやらないといけないといけないのだと思うのです。

オンリーワン企業を目指せ??

今日は短めで。

中小企業を支援する立場の本によく書いてあることで、「オンリーワンを目指せ」というものがあります。確かに、中小企業がいきなりナンバーワンを目指すのはかなり無理がある(ベンチャー企業が将来その業界でナンバーワンを目指したいという意識は天晴れですが)と思うので、業界なり狭い分野なり(ニッチと言ってもいいかもしれませんね)でオンリーワンを目指すのはそれなりに合理性があるように思えます。そして、オンリーワン企業の典型例として、痛くない注射針を開発した岡野工業ですとか、一品物の金属絞りでは並ぶものがない北島絞製作所とかが紹介されることが多々あります。

では、日本にあまたある中小企業がみんな岡野工業や北島絞製作所みたいになれるかというと、やはり無理があると思わざるを得ません。岡野工業にしても、岡野社長の類い稀な知識と技能をもってしても膨大な数の失敗を経てやっと開発に成功しているのですし、北島絞製作所にしても、長年の経験と勘を備えた超優秀な職人がいてこそ、どんな金属部品でもへら絞り加工で仕上げてしまえるわけです。これら企業はもはやナンバーワン企業と言ってもいいかもしれません。

では、どの当たりを目指せばいいかと言われれば、私が思うのは、受注元の企業から指名されるくらいの特色を持つ企業を目指せばいいのではないか、ということです。特色としては当然技術に基づくものがいいのでしょうが、他にもコスト面での優位性(例えばねじを低価格で大量生産できます、というのもいいでしょう)などあると思います。前にも紹介した「大田の工匠100人」に選ばれている職人さんたちは、これもナンバーワンに近いくらいすごい方ばかりですが、まぁ、この方たちまでは至らなくても、受注元から安定していい評価を得ることを目指せばいいのだと思います。製造業でも消費者を相手とする場合やサービス業の場合は消費者にきちんと選択されるくらいの特色を持てばいいのだろうと思います。その上を目指す場合は、かなりの決断と仕掛けが必要ですので、経営者にそれなりの才覚がないといけませんし、スタッフにも能力と数が必要ですから、ちょっと大変です。

最近流行の「オンリーワン企業」という言葉は、聞こえがいいのですが、経営者にとってはそれなりのプレッシャーがかかるように思います。個人経営でない限り、企業にはゴーイングコンサーンが要請されますから、地道な活動は常に求められます。

弁理士会での知財コンサル研修

昨日は知財関係でない記事でちょっとお茶を濁した状態だったので、やはり知財ネタで本日は勝負(ってほどでもないか)。

この秋、弁理士会の研修所主催で各地方支部において知的財産コンサルティングに関する研修が行われ、私が所属する弁理士会の知財経営コンサルティング委員会から講師を派遣することになっています。私も講師として参加したいのはやまやまなのですが、企業勤めゆえ業務に関係ない内容で外出も出張もできないので(有休をとればいいんでしょうが、それはご勘弁を)、泣く泣く傍観せざるを得ません。同様の理由で委員会にもあまり参加できず、ちょっと淋しい思いをしています。

これだけ各支部で知的財産コンサルティングに関する研修がされるということは、それだけ弁理士会会員(=弁理士)の興味が高まっていることだと理解しています。弁理士業界の構造が不可避的に変貌することを予想され、業務範囲の拡大を自ら求める弁理士が多数いらっしゃるのだろうと希望的観測を持って見ています。

それと同時に、これを一過的ブームに終わらせてはならない、とも思っています。思い起こすと、弁理士業界にはサービス商標ブーム、ビジネスモデル特許ブームと幾つかのブームがあり、ブーム以前から専門性を磨いていた弁理士先生以外にも多大なる利益がもたらされたことがありました。ただ、以前から専門性を磨いていた弁理士先生以外の弁理士先生が多数参入することにより、残念なことに弁理士業界全体でみるとクライアントに提供できたサービスレベルを一定以上に維持できなかった場合があったように、今振り返ってみると思えます。サービスレベルの維持というのは口で言うほど簡単なことではなく、会全体の取り組みはもとより個人の意識向上・維持が必要です。

知財コンサルティング業務に限らず、弁理士の業務は最終的には顧客、クライアントの満足度を高めることが目的だと思います。拙速な取り組みを戒め、どのようなサービスをクライアントに提供できるのか、そしてそれは最終的に顧客の利益にどうやってつながるのかという自問自答を繰り返した上で実践をしないといけないのだと思っています。

Beatlesのリマスタリングアルバム

最近BLOGの更新頻度がかなり低下してます。このところ公私ともに多忙であるのと、家に帰ると疲労困憊状態でBLOGを書く意欲がなくなってしまっているので…sad。世の中はどんどん変わっているので何らかの形で情報発信は続けていかないと、と思っているのですが、継続することの難しさを痛感していますcrying

さて、本日は、知財の話題からちょっと離れて、本日めでたく世界同時発売されたBeatlesのリマスタリングアルバムについて。Beatlesは、自分が中学生になった頃には既に解散していたので(歳がばれますなcoldsweats01)、ものすごいファンになるほどのめり込むことはなかったのですが、当然、好きな曲は好きですから、リマスタリングアルバムが発売されことには何となく興味があります。このニュースは本日のNHKニュースでも結構大々的に取り上げられていて、リマスタリングアルバムを9時間ぶっ通しで聴くイベントが本日あったとか、CD販売店で本当に飛ぶように売れているさまとか、早速全アルバムを購入して自営の店舗に持ち込んで(Macintoshのアンプがさりげなく置いてあるのがぶっ飛びました)常連客さんとBeatles談義をしているマスターとかが紹介されていました。

私は全然知らなかったのですが、それまでのBeatlesのCDアルバムは80年代にデジタル化されたものを使っていたようです。80年代というとCDが実用化された頃ですから、それまであったアナログ音源をデジタル化する際にはエンジニアもかなり試行錯誤でやっていたようです。例えばCDの音楽データは16bitのビット深度を持っているわけですが、このビット深度をフルに使わないままデジタル化したCDもかつてはかなりあったようです。実際に、私が家で持っているCDの中で、80年代にアナログ音源をデジタル化したものは、自分がアナログ音源(LPですね)で聴いていた音と違う(デジタル化したにもかかわらずダイナミックレンジが狭く聞こえる、周波数帯域のバランスが悪いなど)と思えるものが多いです。

今回のBeatlesのリマスタリングアルバム発売に際しては、このHPで説明されているように、24bitでのオーバーサンプリングを施してデジタル化した後、ごくごく必要な部分の修復が行われ、また、リミッティング(多分、レベルの圧縮のことを指しているんだろうと思います)も必要最低限しかしていないようです。こう考えると、リマスタリングアルバムの音はアナログ音源に限りなく近いバランスを保ちつつ音質のクリアさが格段に向上したのだろうと予想されます。

こうやってアナログ音源のリマスタリングアルバムが発売される背景には、アナログ音源時代のファンであった世代が40代以上になり、再度音楽をゆっくり楽しむ余裕が出てきたことがあるのではないか、と思っています。子育てにも余裕ができ、自分の青春を振り返ることができるようになったのでしょう。かつて音楽産業の隆盛を支えてきた世代でもありますから、この世代が音楽に戻ってくることは最近じり貧状態の音楽産業にとってもちょっとだけ福音になるかもしれません。ごくごくわずかではありますが、高級オーディオも40代以上の世代を中心に売れるようになってきているようですし。実際、CDプレーヤーを最近買い換えた自分にとっても、いい音で音楽を聴くことは結構ご機嫌なものですsmile

日本に出願する価値を見つけなければ

数日前、朝日新聞のHPに気になる記事が掲載されました。それは、「中国の特許申請数、23.1%増 国外からの申請は減」というものです。この記事は、中国の国家知識産権局のHPのこのあたりの記事(これこれが典拠のようです。

中国の特許出願件数の伸びを支えているのは国内の事業者が熱心に特許出願に取り組んでいる結果のようです(特許庁の特許行政年次報告書2009年版の図表を見てもわかります)。中国が一大知財大国になろうとして努力しているのが見えてきます。

Data1

この、特許行政年次報告書の図表を眺めていてふと思ったのが、日本国で知的財産権を取得する重要性は今どれほどあるのだろうか、ということです。何故そんなことを思ったかというと、同様に特許行政年次報告書2009年版にある、5極特許庁間においてどのように特許出願がされているかを示した図からすると、米国以外の4極は米国への特許出願を熱心に行っており、また、中国への特許出願も増加傾向にあるのですが、海外から日本へ特許出願を行う件数はあまり増加傾向にあるようには見えず、海外の出願人からすると日本において知的財産権を取得する意欲は米国や中国に対するものと比較してそれほど強いものではないのだろうと思うからです。

Data2

その原因は幾つかあるでしょう。かつては、司法制度が米国のそれより結論が出るスピードが遅いことが理由として挙げられた気がしますが、最近は米国の裁判所が多数の訴訟件数を抱えたことにより審理の遅延化が進んでいるのに対し、日本の裁判所は裁判官がかなり主体的に論点の整理を行うなどして訴訟進行を早めた結果、地裁レベルでは平均して訴状提出から1年以内に結論が出るようになっており、事態は逆転しています。最近の主な理由は、日本という市場が世界で占める重要性が徐々に低下している気がしており、日本において権利活用を行うよりも、一大消費市場である米国、及び生産・消費共にグローバルな重要性が高まっている中国において権利活用を行う機会も増加し、また、その重要性も高まっていることのように思えます。当然、ガラパゴス市場と揶揄される国内においてのみ成立している市場もありますので、日本出願のみおこなうことも当然あり得るわけですが、海外市場の重要性が高まっている分野においては、極論すれば日本出願は慣れ親しんだ日本語で速やかに出願し、優先権を確保するためだけのものになりかねません。

日本の市場の重要性が低下すれば致し方ないことのようにも思えるのですが、そのことは知財大国を目指そうとする日本にとってよいのだろうか、という根本的な疑問があります。とどのつまりは、世界的に通用する発明を創出する努力と、日本においても権利活用がし易い制度を創出する努力の双方が必要なのだろうとぼんやり思っています。

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