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2011年4月

特許技術者の評価など

この話題は、以前もこのBLOGで議論した記憶が何となくあるのですが、そもそもこのBLOG、繰り返し同じような話題をしているニッチでディープで物忘れの激しい筆者によるものですから、平にご容赦を。

さて、本日の話題は、特許事務所の特許技術者(含む弁理士)に対する評価のお話しです。殊更に特許事務所の特許技術者の評価について取り上げるのは、実情を見ていると、いわゆる会社員が会社からどのように評価され、どのように査定されるかということと微妙に違う実態があるからです。

具体的に言うと、特許事務所の特許技術者は事務職のカテゴリーに属すると思うのですが、評価、査定、及び給与体系はその人なり事務所全体の売上高にリンクする割合がかなり高い、簡単に言えば営業職、しかもフリーランスの営業に近いものなのです。ただ、売上高にどの程度リンクするのかについては、実に特許事務所毎に様々で、このリンクの仕方に特許事務所の経営陣は腐心しています。

これは、特許技術者は、その気になると月単位、年単位での自分が関与した案件の売上高の累積数字を比較的容易に把握することができるので、その意味でも営業職に近い構造になっているとも言えます。裏返せば、自分の売上高と給与との間にかなりの乖離があれば、経営陣に対してその説明を求めることができ、その説明に納得が行かなければ、究極的には他の事務所に転職するきっかけにもなりかねないのです。特許事務所の経営陣は、人材流出を防ぐ意味でも、特許技術者が納得の行く評価、査定及び給与体系を提示する必要に迫られる事が多々あります。

では、特許事務所の特許技術者の仕事に対するインセンティブは、事務所内の評価が高く、結果として高給取りになることだけなのでしょうか。クライアントからの評価が高い、さらには高品質の業務を提供することはインセンティブにならないのでしょうか。クライアントからの評価が高い、ということは、実は特許技術者が一人で実現することはなかなか困難です。それは、特許業務は特許技術者だけで完結することはなく、特許事務担当者が期日を的確に把握しながらミスを極言まで減らし、かつ、効率的に特許事務作業を遂行することも、同様にクライアントからの評価を高める要因になり、さらには特許事務所全体の体制や評価も加味されるからです。高品質の業務を目標にすることがクライアントからの評価に直結しないのは、このところ明細書の品質について議論したことからもわかっていただけると思います。

企業の場合、個人の評価が企業全体の評価に大きく反映されることは滅多にないと思っています。むしろ、チームプレーでの業務遂行能力がその企業の評価につながり、ひいてはそこに勤務する社員の評価につながるという図式だと思います。従って、チームとしてのまとまり、チームとしての目標などが重視されます。このような図式の中で、企業という集団に帰属する意識が出てくるわけです。

では、振り返って、特許事務所にはチームプレーでの業務遂行能力はどれだけ求められるのか、チームとしてのまとまりは必要なのか、特許事務所に対する帰属意識はあるのか…クライアントからの評価には特許事務作業の巧拙も含まれるというお話をしましたが、実は、大抵の場合、大過なく作業を継続していれば特許事務作業に対するクライアントからの評価は悪くはなりませんし、それを問題にする場面もあまりありません。そうなると、クライアントからの評価は、実は個々の特許技術者の評価の累積値にかなり近くなってきます。これを裏から見ると、特許事務所全体のまとまりを求めずとも、個々の特許技術者が優れた仕事(主に権利形成業務)をしているならば、クライアントからの評価が高くなる傾向にあります。

このような実情に鑑みてみると、特許技術者の評価、査定及び給与体系と特許技術者の売上との間の相関性が高くなることは、かなり必然的なものであるとも言えます。優秀な特許技術者を何人抱えているかが特許事務所の評価に強く結びついている限り、優秀な特許技術者を特許事務所内に雇用するためには売上高に見合った報酬が必要になる、ということです。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか。現実はなかなか難しいところがあるのですが、ある程度知財管理業務が洗練された企業であると、企業全体での知財実務の方針が定められており(例えば明細書はこのようなポリシーに基づいてこのような基準で作成してくださいという指示)、この方針に従った知財業務(特許事務所の場合、ほとんどが権利形成業務)が特許事務所には求められているわけです。つまりは、特許事務所に対してもチームとしてまとまった行動が求められています。そして、方針が徹底されない特許事務所に対しては管理責任が問われる可能性があります(現実にそこまで至る事態はそうそう生じませんが)。加えて、一定以上の知財サービスを提供するという観点からすると、クライアントに対する窓口業務を行っている特許事務所側の担当者(弁理士であるべきですが)は、そのクライアントに対して提供する知財サービスについて全責任を負うべきですし、そのためには提供する知財サービスに対する管理業務が必要になります。こう考えると、特許事務所であっても、企業と同様の観点(チームプレー重視など)からの業務遂行が求められてもおかしくありませんし、その観点に立った評価、査定、及び給与体系が導入されてもいいように思います。

とは言え、個人単位で権利形成業務を行う必然性も上に書いたようにありますし、理想論を縷々説明しても、それに近づける作業は並大抵なものではありません。一例を取れば、明細書作成の指導を経験の浅い特許技術者に行うことは必須である当然の作業ですが、指導をした分、指導者は明細書作成業務を行うことが出来ず、結果的に「得べかりし利益」という意味では売上高の減少につながります。この分をどのように評価するのか。この辺りになると、各特許事務所の知恵の絞りどころです。私個人としては、できたら企業寄りの業務、評価、査定、そして給与体系を実現したいところですが、簡単ではありません。

明細書作成業務のスキルアップに必要なものは

昨日の知財系twitter-erの間で、明細書作成のスキルアップのためには何が必要か(端的に言えば、どれだけの明細書を読み込んで、どれだけの明細書を書いたらステップアップできるのか、ということ)という議論がされていました。ほとんどの議論は尽くされた気がしていますが、twitterというメディアではやはり説明しきれない部分がどうしても出てきますので、ちょっとだけお話しを。

まず、大前提の話として、クライアントの要求に応じて(前回の投稿では顧客ニーズという言い方をしました)作成すべき明細書のレベルは随分違います。ここで言う明細書のレベルとは、審査官による審査がされた際に、記載不備に基づく拒絶理由を受けるのかどうか、新規性・進歩性欠如に基づく拒絶理由を受けるのかどうかというごく基本的なことから、審査官による拒絶理由(主に新規性・進歩性欠如)を受けた場合に対応がしやすいかどうか、さらには第三者に対する排他的効力の度合い(黙示的なものも、また、実際に権利活用した際の明示的なものも含まれます)も入ります。従って、以下の議論についても本来は明細書のレベルについて明示的に記載する必要があるのですが、書き始めるときりがないので、とりあえず記載不備に基づく拒絶理由を受けず、新規性・進歩性欠如に基づく拒絶理由を受けた場合でも何らかの形で権利取得が可能であり、第三者が当該権利を検討した際に明らかな瑕疵を直ちに発見することができない、といったものであるとします。これをさらっと書くと当たり前のレベルのように思えますが、実はこのレベルを満足する明細書ばかりでないのが面白いところです(その理由は色々とあると思いますが、つまり色々とは明細書作成者の問題だけに帰着できないということです)。

あと、以下の議論では、明細書作成者に対して弁理士登録を前提としないことにします。弁理士法の観点からすれば、弁理士登録が済んでいない者が明細書を作成することは弁理士法違反になりますが、実務上は、いわゆる非弁の明細書作成者が明細書原稿を作成し、弁理士が最終的に明細書を仕上げることが多々ありますので、弁理士登録の有無を弁別して議論すると複雑になります。

通常、実務未経験者が特許事務所に入所して明細書作成者として成長する過程では、当然のことながら特許法の学習、当該技術の学習、明細書作成法の習得をします。事務所によっては、実務未経験者は中間処理(拒絶理由通知に応答するための手続補正書、意見書作成)から始めたり、あるいは、在外出願人が日本国特許庁に出願する(よく外内手続と言います)際の明細書(大抵はパリ条約に基づく優先権主張を伴いますので、いわゆる第一国出願の明細書が手元にあります)作成手続から始めることもあるようです。確かに、国内出願人が日本国特許庁に出願する(よく内国手続と言います)際の明細書作成作業は、なかなかハードルが高いです。つまり、発明者が作成した提案書は明細書のフォーマットにできるだけ近づけてあることが多いのですが、この提案書のてにをはを直したくらいでは、上に書いたレベルを満足する明細書にはなりません。裏返せば、発明者の提案書と明細書の間にギャップがあるからこそ、弁理士に対して明細書作成代理業務を依頼するわけです。とは言え、このあたりは特許事務所毎のポリシーの違いみたいなものですから、あまり詳細に議論しません。以下の話は、上に書いた内国手続における明細書作成業務について議論を絞ります。

さて、内国手続における明細書作成業務の場合、かなりの確率で一から明細書を作成することになります。その理由は、上に書いたギャップの存在です。この場合、ちと抽象的な言い方ですが、文章を紡ぐように自分の頭の中から引き出す作業が必要になります。明細書は一定の手順(つまり、項目の順番に応じた記載内容)に従って書く必要があります。この手順については、上に書いた明細書作成法を習得する作業の中で習得するわけですが、確かに明細書作成法についての成書は数多くあり、また、特許事務所によっては独自のテキスト、カリキュラムを持っているものと推測するのですが、文章を一から作成する作業は座学や書籍から得られた知識だけで習得するのは難しいと思っています。その理由は、例えば赤ちゃんが自ら言葉を発するには親から大量に言語がインプットされ、その言語の蓄積が頭の中で相当量に達しないといけないことの類似で、一定の手順に則って文章を自分の頭の中から引き出すには、他人が作成した明細書を大量に読む作業が前提になると思うからです。

当然、例えば明細書を100件読んでから明細書作成作業にかかれという指示をする事務所は少ないと思います。通常は、作成すべき明細書の関連技術に関する公報、事務所内の先願(つまり未公開)明細書を何件か(あるいは何十件か)読了し、公報等を見ながら見よう見まねで明細書原稿を作成し、指導者のチェックを経て一つの明細書を完成し、この作業を繰り返すことで明細書作成スキルが順次向上することになります。とは言え、文字通りすらすらと明細書向けの文章を自分の頭の中から引き出せるようになるには、相当量の他人の明細書の蓄積が自分の頭の中にないといけないと思います。しかも、実は他人の明細書は学ぶべきところとそうでないところとが混在している(その割合は公報・明細書毎に区々ですが)ので、当所は指導者の指導により、上達すると自分なりの判断基準でこれを選別する作業が出てきます。

とは言え、単純に「他人の明細書を大量に読んで下さい」という指導は、人によっては指導を放棄していると思われることもあるかと思います。「読書百遍、意自ずから通ず」という指導方法は時代遅れだと言われる可能性もあります。体系的教育により能率的に学習することに慣れている人が最近は多いと思います。とは言え、上に書いたように大量に明細書を読むメリットは確実にあるわけです。そして、初学者にそのメリットを説いたところで理解してもらえるかどうかの確証はありません。では、どうするか。

上に書いた明細書作成法については、まともに説明すると教科書になってしまうわけですが、明細書作成者のレベルに応じてキャッチフレーズ的に説明することもできないではありません。例えば、私が最近思いついたものとして「明細書は断定的に書きましょう」というものがあります。これは、初学者が往々にして行う、明細書(特許請求の範囲も含む)において的確に構成を記載するスキルがないので、作用的・効果的記載に逃げ込む傾向を戒めるものです。作用的・効果的記載は、突き詰めるとそれは構成そのものを記載していませんから、中間処理において引例との差異を議論するのが難しく、また、権利解釈において限定的解釈を引き出すための根拠となってしまいがちなので、できるだけ避ける必要があります。とは言え、人は易きに流れます。明細書を断定的に書くと言うことは、例えば「~なるように構成されている」といった記載を排除することにつながります。このように、行為から規制することでスタイルを習得させるやりかたはあるのかな、と思っています。

また、これは昨日のtwitterでの議論でも紹介されていたことで、明細書作成業務を教える前に先行技術調査を大量に行わせ、強制的に大量の公報を読了する作業をさせることも面白いかもしれません。ただ、この場合注意すべき事は、明細書作成業務のために公報を読む作業と特許調査のために公報を読む作業は微妙に異なるので、指導を受ける側がその点を十分認識する必要があることです。つまり、明細書作成業務を前提とした場合、明細書をかなり分析的に読む必要がありますが、特許調査の場合は公報にどのような技術が記載されているかという点に絞って公報を読むことになりますので、上に書いた「一定の手順」を意識せずに公報を読めてしまうのです。

結局のところ、法律が求める要件に基づく明細書のスタイル、あるいは「一定の手順」は確実にありますので、このようなスタイルに則った文章が自分の頭の中からすらすらと出てくるようになるには、かなりの修練が必要だと言うことです。当然、スタイル習得に至るまでには個人差が相当あります。また、その人が持っているそもそもの思考経路なり思考スタイルが明細書のスタイルにどれだけマッチするか、あるいは適応できるかという問題もあります。どうもしっくりこないまま年月が過ぎてしまうことも往々にしてあり、そうなると遅々として上達しないという状態になってしまいます。とは言え、今時「修練」と言うと時代遅れ的なイメージが強いので困ってしまいます。体系的教育を求められている現代において、時代にマッチした指導とは何なのか、私自身も試行錯誤状態にあります。

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