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2011年8月

池井戸潤「下町ロケット」(補遺)

前の記事で、一気呵成に感想を書いたら、案の定書こうと思っていた話題を幾つか書き漏らしましたcoldsweats02。なので、ちと脈絡がないのですが、補遺を。

まず、佃製作所が金策に詰まるところですが、私も又聞きレベルで申し訳ないですが、金融機関は財務諸表に基づく評価はできるものの、技術に基づく評価はなかなかできない、という話を聞きます。技術評価は外部機関に依頼することも最近では時々行うようですが、外部機関を使って技術評価をした場合、それなりの費用がかかるので、コストをかけたものの否定的な評価が出た場合はその費用は誰が払うんだ?ということになり、金融機関はなかなか重い腰を上げないようです。ただ、小説では金融機関として「銀行」ばかりが出てきた印象がありますが、中小企業の場合、地元密着型の金融機関として信用金庫や信用組合のお世話になっている企業が結構あります。で、信用金庫などは長期間にわたってその地元で地元密着型企業との付き合いがありますし、そんなに新規融資先が現れるわけでもない様子なので、地元密着型企業を大切にする印象があります。私が話を聞いたある信用金庫は、中小企業支援センター(もう終了しましたが)として活動し、その中で知財評価にも積極的に取り組む姿勢を持たれていました。あと、金融支援という側面で言うと、中小企業庁や中小企業基盤整備機構を中心とする中小企業に対する支援策が数多くあり、(条件は色々とあるのですが)緊急的な金融支援策を取り得ます。この辺りは、小説には登場しない中小企業診断士、社会保険労務士、税理士、公認会計士などの専門職の支援を仰ぐ(当然、商工会議所などもありますが)ことで道が切り開けることもあります。ま、小説では、この辺りの支援策も検討したが…ということなんだろうと思います。

もう一つ、小説では比較的善人と悪人とがわかりやすく、カリカチャライズされた形で描かれていました。登場人物の正確や立場を明確にし、読者が感情移入しやすいためのことだとは思いますが、当然ながら、現実は善人と悪人の境目は不明瞭であり、いずれかにカテゴライズするのは困難です。例えば、知財訴訟を得意とする弁護士は、実は事件毎に原告側に経つと思えば被告側に経ち、また、原告/被告代理人として対立することもありますが、次の事件では共同代理人としてタッグを組むこともあり、実に立場が目まぐるしく変わります。小説内のナカシマ工業の代理人弁護士は、多分に顧問契約を締結しているのだろうと推測しますが、とは言え、職業倫理を超えてまで企業側に与することはないので、ちと悪人に描かれすぎかな、と思いました。私が存じ上げる知財関係を得意とされる弁護士先生は、どなたも職務遂行は真摯にかつ公平に行う方ばかりで、尊敬に値する方ばかりでした。

…こんなところで思ったことのほとんどを書きましたので、この項はこれで終わりにしますm(_ _)m。

池井戸潤「下町ロケット」

さて本日は、前回の記事で未読ながらあれこれとまつわる話をした「下町ロケット」についてです。遅まきながら、読了致しましたのでcoldsweats01、感想をば。

まずは全体的な感想です。作者が丹念に取材し、それに基づいて非常にスケールの大きい物語を構築していることに大きな感銘を受けました。もの造り日本と言われながらなかなか実感のできないことが多いかと思うのですが、もの造り日本ここにあり!と快哉を上げたくなる作品です。

…と言った上で、ねちねちと細かい話をしましょうcoldsweats01。ネタバレ部分が多々ありますので、ご注意を。

まず、佃製作所の舞台となっている大田区上池台。私の自宅がまあまま近所(大田区では共通)であり、上池台にも馴染みが随分とありますが、佃製作所は上池台の坂の途中にあるという設定になっています。で、実際の上池台には平地部分と坂の部分とがあり、平地部分は内陸にありながら比較的専有面積の広い事業所が幾つかあって、工場も立地しています。一方、坂の部分はどちらかというと高級住宅街で、工場を立地するには微妙に条件が悪いところのように思います。なお、上池台には以前学習研究社の本社がありました(今は五反田の目黒川の近くに移転しました)が、学習研究社は工場ではないですね。ま、大田区全体を見ると、意外と住宅街の中に工場が混在している場所があるので、違和感があるとは言えません。小説を読みながら、上池台の坂道を幾つか思い出していました。

次に、神谷弁護士のモデルと言われる鮫島弁護士。確かに、理系大学出身の弁護士で、エンジニア経験のある理系弁護士の走りと言える方です。細かい話ですが、鮫島先生の出身法律事務所は、実は知的財産権関係よりも企業法務全般に強みを持っている事務所です。鮫島先生は、この企業法務に長けた法律事務所で現在のパートナー弁護士先生と出会い、独立されたわけです。で、今の事務所のある場所は、小説に書いてあるとおり、「西新橋の、弁護士事務所ばっかり集まっているビル」にあります。私は鮫島先生と知り合ってから随分長い(多分、鮫島先生が弁理士合格された頃からです)のですが、まだ事務所にお邪魔したこともなく、また、仕事上のお付き合いもない(セミナー会場などでお会いする機会は相当あるのですが)ので、法廷での颯爽としたお姿に触れる機会はまだないのが残念です。

次に、ナカシマ工業との特許訴訟で、ナカシマ工業が佃製作所からの反訴であっけなく白旗を挙げてしまう件です。自分の経験からしても、また、今までの職務経験で教わったこととして、特許訴訟を含めた権利活用を行う際には細心の注意を払う必要があり、実際に権利活用先(企業)を定めるに当たっては、相手方企業がどのような特許を保有し、それが自社にどのような影響を与えるかについての検討は必須です。特に、大企業が中小企業を特許訴訟の相手方にする場合、事業規模がかなり違ってきますので、権利行使で得られる金額よりも反訴で取られてしまう可能性のある金額のほうが相当大きいことが予想されます。従って、反訴の可能性がある案件については、慎重にならざるを得ません。小説の場合、ナカシマ工業は時間稼ぎによりいわば兵糧攻めにする作戦であったので、仮に反訴の可能性があったとしてもそれまでに決着を付ければ良いという見通しで訴訟に踏み切ったと考えられますが、現在の裁判所における特許訴訟の進行スピードの速さは目を見張るものがありますので、結果的に見通しが甘かった、ということになります。

さて、本題の中小企業ドリームというべき小説の主題についてです。大田区がここ数年、大田区の工匠100人という企画を立て、毎年30人程度ずつ選定しています。夏になるとJR蒲田駅で紹介されています。この、大田区の工匠の製作物(部品ですけどね)は、どちらかというと少量製作物に近く、量産品はほとんどありません。それもそのはず、量産品(こちらもおおむね部品)については大量生産が必要なため、数多くの工場が大田区外に移転(海外移転もしています)し、大田区内に残った工場は、高い精度が求められるもの、あるいは加工が難しい金属等の少量製作物を製造する工場と、あとはかなり単純な部品を製造する工場とが多数を占めるようになっています。佃製作所は、この前者に所属する企業で、しかも、従業員数が結構多い企業という設定になっています。よく、マスコミを中心として製造業の空洞化云々という論調がありますが、ここでいう製造業とは、上に書いた量産品についてのことを指している場合が多く、日本全体で見るとその図式が当てはまらないところが当然ながら出てきます。佃製作所の場合、BtoBをメインにする企業で、しかも少量製作物ばかりを担当している企業ですから、そもそも空洞化を議論する必要がなく、未だに世界のトップレベルを維持していることが容易に推測できます。

もう少し付言すると、実は大企業は少量製作物について非常に高い加工精度を持って製造することを社内技術として保有することをどんどん諦めています。社内にそういった匠を保有することのコストを考えると、特に試作品レベルでの製造工程は外注に委ねる部分が非常に大きくなってきています。で、日本の中小企業の一部は、この、非常に高い加工精度で少量製作物を製造する部分を担当しています。従って、かなりの大企業は、そういった範囲のことであれば外注することにためらいを持たなくなっています。特に、大田区の中小企業の中には、クライアントからの要望にできるだけ応えようという気概を持っている会社が幾つもありますので、この部分に関しては、大田区の中小企業は日本の製造業を未だに大きく支えていると言えます。例えば、こんな会社があります。

その意味で、朝日新聞の書評で、「下町ロケット」をかつて存在したドリームであるような書き方をしていることに、私自身は大きな違和感を感じました。確かに、後継者不足で悩んでいる中小企業も多数ありますし、量産品の製造に関しては新興国(特に中国)の擡頭で製造業全般では苦難の道を歩んではいるわけですが、私が見る限り、このドリームは現存するものであり、従って、過去形で語ることには怒りすら感じました。

最後に、知人が、この小説に、技術に詳しい弁理士が登場しないことをちょっとだけ嘆いていました。しかし、よく読んでみると、そもそも佃製作所に優秀な技術があり、これが的確に特許されていたからこそ「下町ロケット」という小説が成り立ったのであるから、実は、特許取得に尽力した(であろう)弁理士は、この小説の縁の下の力持ちと言えるわけです。弁理士は往々にして縁の下の力持ち的な存在ですから、これはこれでいいのではないか、と思っています。ちょっとだけ登場してもいいかな、とも思いますけどね。


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