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CLS Bank事件備忘録

先月、米国最高裁は、前回備忘録を記事にしたAkamai事件に加えて、CLS Bank事件(Alice Corporation Pty. Ltd. v. CLS Bank International et. al.)の判決も出しています。コンピュータソフトウェア関連発明に関する明細書を多数作成している私としては、Akamai事件も重要判決ですが、それ以上にCLS Bank事件の判決は重要なものです。それは、CLS Bank事件では、(概括して)コンピュータソフトウェア関連発明であると出願人が考えている発明が、抽象的アイデアに該当するために特許適格性がないか否かの判断を米国最高裁が行ったこと、さらには、方法発明について抽象的アイデアに該当するために特許適格性がないと判断された場合、略同一内容のシステム発明及び記録媒体発明についても抽象的アイデアに該当するために特許適格性がないと判断されうるか否かの判断を米国最高裁が行ったからです。細かい内容についての私の考えは後で述べるとして、まずはCLS Bank事件の最高裁判決の概要をご紹介します。

CLS Bank事件の最高裁判決については、私の知りうる範囲で日本語で3つの資料(資料1資料2資料3)が公表されています。今回も、これら資料に一部準拠しながらご紹介をしていきます。

Alice社(Alice Corporation)は、仲介機関を用いる取引の決済方法に関する特許で、第三者信託(escrow)を利用し、リスクを計算させ、安全な取引のみを認める複数の特許を所有しています。CLS Bank社(CLS Bank International)は、通貨取引を促進するグローバルネットワークを運営しており、CLS Bank社は、Alice社が所有するこれら特許に対する非侵害及び無効を確認する訴訟を提起し、これに応答して、Alice社は、自社が保有する特許をCLS Bank社が侵害していると反訴しました。DC連邦地裁は、Alice社が保有する特許はいずれも特許適格性がないと判断しました。CAFCは大法廷(en banc)において審理を行ったものの、過半数の判事による多数意見は出ず、5人の判事が賛同した意見をとりあえずの判決(Per Curium)として判決を出しました。このCAFC判決では、地裁判決を全面的に支持し、Alice社が保有する特許はいずれも特許適格性がないと判断しました。

米国特許法101条に規定する特許適格性について、ここ数年の間に、米国最高裁は2つの判決を出しています(Bilski事件、Mayo事件)。Bilski事件についてはこのBLOGでもご紹介しました。Mayo事件は、ざっくり言えば、権利者が有する医療行為に関する方法特許について、自然法則、自然現象以外の他の特徴、あるいは、その組み合わせによって自然法則自身を遙かに超えたものに特許がなっている(significantly more than a patent upon the natural law)ことを101条の要件とする旨判断し、権利者の方法特許について特許適格性を否定しています。

今回の事件では、CAFCも、そして当の米国最高裁も、このMayo事件に準拠して判断をしています。しかしながら、「自然法則自身を遙かに超えた」(significantly more)という判断基準がどこまで具体的なものであるか(Bilski判決で、「抽象的アイデアは特許適格性がない」とだけ判示したのよりは一歩進んでいると言えますが)、考えを進めれば進めるほど私は泥沼にはまっていく気がしています。今回のCLS Bank事件も、この点がどうも腑に落ちないがために、いくら考えてももやもや感が拭えません。

米国最高裁は、このCLS Bank事件において、このMayo事件の最高裁判決、さらには、米国特許法101条に規定する特許適格性について判断をしたBenson事件(1972年の判決ですので、何と40年以上前!)、Flook事件、Diehr事件、そしてBilski事件を適宜引用しながら、Alice社が保有する特許について特許適格性がないとしたCAFCの判断を支持しました。

まず、米国最高裁は、Mayo事件の最高裁判決において、特許適格性がないとされる自然現象、自然法則及び抽象的アイデアと特許適格性を有する出願とを峻別するフレームワークを提示したことを述べています。ただ、Mayo判決において、自然現象、自然法則については一定のフレームワークが提示されたと思っていますが、これが「抽象的アイデア」にまで適用されうるという判断が明確にされたのだろうかという疑問が微かにあります(後述する米国特許庁の審査官向けインストラクションでも、CLS Bank事件はMayo事件の適用範囲を抽象的アイデアにまで広げたといった言い方をしています)。

Mayo判決において提示された(とCLS Bank事件の判決で述べられている)フレームワークは次のようなものです。

(1)第1のステップとして、当該フレームワークを用いることにより、クレームが特許適格性のないコンセプトに向けられたものであるか否かを判断する。

(2)そうであるならば、第2のステップとして、クレームの構成要素(単独及び組み合わせとして)が、クレームの本質(nature)を特許保護適格性のある応用(application)に変換しているか否かを分析する。

まず、第1のステップについて、米国最高裁は、Benson事件、Flook事件、Diehr事件、そしてBilski事件を引用しながら、Alice社が所有する方法特許は抽象的アイデアであるとして、特許適格性のないコンセプトに向けられたものであると判断していました。

第1のステップを判断するに当たって、米国最高裁は、Alice社の方法特許が従来知られていた概念であることを殊更に強調しています。多分にこれは、自然法則の特許適格性がないことの理由として、自然法則や数学的公式に特許権を付与した場合に、この自然法則等についての権利を先取り(pre-emption)することをBenson事件で米国最高裁が述べており、この「先取り」理論につなげるために、Alice社の方法特許に記載されたアイデアの新規性(わかりやすく言ってますので、特許法上のそれとは当然違います)がないことを説明しているのだと思っています。

次に、第2のステップについて、米国最高裁は、Alice社の方法特許は、単に汎用コンピュータを実装しているに過ぎず、当該抽象的アイデアから特許適格性ある発明への変換に失敗していると判断しました。より詳しくは、クレーム内にコンピュータを使用するという文言が追加されているだけでは、十分ではないということです。例えば、「適用される(apply it)」という文言は追加されているものの抽象的なアイデアを記載している場合、または、「特定の技術環境に適用される(to aparticular technological environment)」抽象的アイデアの使用に限定している場合、いずれも特許保護適格性を有さないとされました。

Alice社の方法特許は、クレームの文言中に「レコード」という用語が散見され、クレーム作成者は単なるコンピュータへの適用と解されないような工夫をしていると思われるのですが、クレーム上で特定構成のコンピュータハードウェアへの言及がない(このあたりはちょっと日本の審査基準に引っ張られた言い方ですが)ので、米国最高裁の判断も致し方ない範囲内にあると思います。

問題は、Alice社のシステム特許及び記録媒体特許についての米国最高裁の判断です。米国最高裁は、Alice社のシステム及び記録媒体特許は、抽象的なアイデアに、何ら実質的なものを追加していないため、方法クレームと同様に米国特許法第101 条の規定に基づき、特許保護適格性がないと判断しました。より詳しくは、最高裁は、Alice社のシステム特許において特別なハードウェアとして特定されているのは、純機能的であり純一般的なものであると判断し、システム特許に記載されたハードウェアはどれも、一般に当該方法を、特別な技術環境へ連結すること、すなわちコンピュータへ実装することを超えた意味のある限定を提供するものでないとしました。また、記録媒体特許についても同様であると判断しました。

Alice社のシステム特許及び記録媒体特許が、既存の抽象的アイデアに一般的なコンピュータの構成要素を適用しただけであるのかどうかは、実際にこれらのクレームをご覧いただいた上で判断していただくのがよいと思います。私としては、今回のAlice社のシステム特許及び記録媒体特許はかなり限界的事例であると思います。言い換えれば、似たような案件が再度司法の判断を仰ぐことになった場合、判断が割れる可能性があるのだと思います。一方で、米国最高裁は、Flook判決を引用して、米国特許法101条を解釈するにあたってクレーム作成者の技術(draftman's work)のみに依拠して特許適格性を議論することを排除するのだと言っていますので、特許の主題が抽象的アイデアであると判断された場合、その主題に対してハードウェア資源への言及を少々したところで、特許適格性ありとはしないという態度を米国最高裁が取ったのだとも言えます。

このCLS Bank事件の最高裁判決は、結果的にMayo判決の判示事項を抽象的アイデアにまで拡張した上で、抽象的アイデアについては特許適格性がないという、ある意味で当たり前の判決をしたとも見えます。しかしながら、上にも書いたように、「自然法則自身を遙かに超えた」(significantly more)とは、具体的にどういったものであるかについての判断基準を今回の判決で明確にしたわけではありませんので、実務上の取扱を変更する必要が生じたわけではない一方、わからないことはそのままであるという感想です。

振り返ってみると、数学的公式を含む自然法則や抽象的なアイデアに関する判決で著名なもののうち、State Street Bank事件及びAT&T事件以外は全て最高裁判決であり、State Street Bank事件で判示された事項(いわゆるUseful, Concrete and Tangible result)は最高裁において追認等がされていないと言えます。Mayo事件の最高裁判決、及びCLS Bank事件の最高裁判決では、過去の最高裁判決を念入りに引用した上で、最高裁のスタンスは以前と変わりがなく、自然法則、自然現象及び抽象的アイデアは特許適格性がないのだと言っているようにも思えます。

この判決をアンチプロパテント(何だか変な言い方ですが)の流れがより明確になった、また、パテントトロールの活動抑制の為である等の批評をすることも可能だと思いますが、私としては、State Street Bank事件以降の判断の流れを以前のものに引き戻して、実務上の混乱を収束させるという米国最高裁の意図があるのではないかと思っています。とは言え、何度も書くように、では実務上の指針をここから明確に読み取れるのかと言えば、そうではないと思っています。

米国特許庁は、このCLS Bank事件の最高裁判決を受けて、審査官向けのインストラクションを発表しています。具体的な内容については原文をご覧いただくのが一番だと思いますので、ここでは詳細なご紹介を省略します。

このCLS Bank事件を受けて、実務上何をするかと言われると、ちょっと苦慮するところがあります。日本であると、コンピュータソフトウェア関連発明の審査基準において、ソフトウェアとハードウェア資源との協働性が要求されますので、クレームにおいてハードウェア資源との協働を明確に記載することで、単なる抽象的アイデアであるとの判断から逃れることができます。また、Mayo判決の対象となった医療行為については産業上の利用可能性の観点から判断されます。そして、人間が行っている業務のシステム化を行ったのみの発明については進歩性なしとされます。

米国においては、これらが全て米国特許法101条の問題として議論され得ます。この辺は、日本特許法において発明の定義に自然法則の利用性が明記されていることとも関連すると思いますが、ここでは発明の定義に関する議論は深く行いません。

となると、今後の実務としては、いかに「抽象的アイデア」であると判断されないようにクレームのドラフティングを工夫するかということがポイントになります。ここで、今まで特段注記していませんでしたが、Flook判決において、「ポストソリューション・アクティビティ(post-solution activity)が、特許性のない原理を特許性のあるプロセスに変えることはない」と判示し、Diehr判決でも、「無意味なポストソリューション・アクティビティが、特許性のない原理を特許性のあるプロセスに変えることはない」とも判示しています。ここに、ポストソリューション・アクティビティとは、数式を解いた後にその結果を用いて何をするかということです。CLS Bank事件では一般的なコンピュータへの言及のみであったわけですが、では、具体的なかつ特殊なハードウェア資源への言及がクレーム上でされていたとしても、そもそもベースとなるアイデアが「抽象的アイデア」であると判断されてしまったら、様々な工夫をしたとしてもやはり特許適格性がないと判断されてしまう可能性は残ります。

こういった事態は、今までも可能性としてあったわけですが、Machine or Transformationテストであれ何であれ、一応の判断基準をCAFC及び米国特許庁が提示して、その範囲内で実務が行われてきたために大きな混乱がなかったと言えます。しかし、Bilski判決以降、依って立つべき明確な基準はない状態です。現時点では、より安全サイドに立つ実務を行うことになるんだろうと思っています。

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コメント

こんにちは。
ソフトウエア関係の特許に多少興味があるので、適当に米国の判例を見ていますが、
この判決では、101条の解釈はいかにあるべきかを争点としていて、
特許を無効にしようという観点とは思えないですね。
特許を無効にする意思があるなら、ほかの条文もあわせ技で争っても良いと思う。
だから、純粋に101条の解釈の是非を争う。
被告から見て、どうなんでしょうかね。
勝ちたいという気持ちがあるのか
とちょっと不思議な印象を持ちます。
では。

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