日本のモノ作り
BLOG更新が滞っていてすいません(別に謝ることでもないかもしれませんが)m(_ _)m。このBLOGも更新を全くしないこともあり、最近は色んな方の注目もあまり受けなくなったと勝手に考えていますので、気楽に書くことにします。とにかく、まだまだ公私ともに慌ただしい日々を過ごしているので、元気ではあります。
本日のネタは、これも全く結論がない与太話を。
日本のモノ作りが日本自身も賞賛するようになってきて、それはそれで評価が高くなることでしょうからあれこれ言うこともないと思いつつ、さて、そのモノ作りの優秀性はどこまで続くか(時間的観点で)について考えると、どうも気になってきます。
例えば機械加工について考えると、旋盤工の人が旋盤でミクロン単位の加工ができますということは、仮にマシニングセンタのメーカーがミクロン単位の加工を自動化する機械を作ってしまうとその優位性が揺らいでしまう可能性があります。当然、マシニングセンタにどの程度の精度を求めるかというのは、マシニングセンタの値段やらメンテナンスやらを考えると、高精度であることが正義とばかり言えないでしょうから、何とも言えないわけですが。旋盤工の人が人出でミクロン単位の精度を実現しているのは、機械化のメリットがあまりない分野での話だとも言えます。
自宅の近所に、へら絞り加工で日本全国レベルの知名度を持つ工場があります。大型金属部品のへら絞り加工は、現時点では人手に頼ることが多いわけですが、一方で、この工場の経営者さんは、中国の存在等を理由に、比較的小さい部品のへら絞り加工については機械化を図っていますということを仰っていました。つまり、先端を行く人であるからこそ人手に頼る部分と機械化が必要な部分との棲み分けを考えているわけです。
こう考えていくと、マスコミや政府、地方自治体の一部が日本のモノ作りの能力を時に手放しに礼賛していることに大きな違和感を感じます。例えば、あるバージョンのiPodの裏面の鏡面加工が新潟の工場で行われたことは大々的に報じられていましたが、その後、鏡面加工は海外の工場で行われるようになったとの情報もあります。
日本のモノ作りの最たるものとして考えられている自動車産業にしても、日本はすり合わせを活かして自動車を製造していますが、一方で、ドイツのフォルクスワーゲンは、徹底的な部品化、モジュール化を進めることで、全世界どこでも同じ品質の自動車を誰でも製造することができる仕組みを作っています。日系の自動車企業もモジュール化を漸次進めているのですが(例えばトヨタのTNGA)、フォルクスワーゲンには一日の長があるように思っています。
マイスターの技量は機械化によって脅かされる事実があります。日本のモノ作りはどこに向かうべきか、冷静に考える必要があります。
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